苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

セム・ハム・ヤペテ

「ノアはぶどう酒を飲んで酔い、自分の天幕の中で裸になった。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。それで、セムとヤフェテは上着を取って、自分たち二人の肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔を背け、父の裸は見なかった。」(創世記9:21―23)

 大洪水の海に漂う箱舟の中、ノアと家族たちは動物たちの飼育係として、苦労して暮らしてきました。1年と10日目、ついに神の許しがあって、箱舟から出た彼らは神の礼拝をささげ、再出発しました。彼らは変わり果てた大地に鍬を入れ、種をまき、炎天下に草を取り、やがて収穫のときを迎えます。季節になるとさまざまな作物が実り、葡萄畑は一面甘い香りに満ちました。ノアは新鮮な実を食べ、また、葡萄の汁をしぼりました。やがて葡萄の汁は発酵して葡萄酒ができると、ノアは気が緩んでいたのでしょう、泥酔してしまいました。いつもは敬虔で威厳に満ち、少々煙たい父が、今日は素っ裸で寝転がっているのを、最初に見つけたのはハムでした。「いつも『神を畏れよ』と言ってるオヤジがあのざまだぜ」と、ハムは父を侮辱して兄弟セムヤペテに告げ口しました。しかし、兄弟たちは父の醜態から目をそむけて覆い隠しました。

 神は、その民を治めるにあたって、ご自分を代表する権威を民の上に立てられます。三人の息子にとって、父ノアが神の代表権威でした。権威として立てられた者は、聖なる神を代表するのですから、神を畏れ、あわれみと正義と威厳を表す務めがあります。権威が立派に振舞っているとき、息子たちが従順であることはたやすいことでした。しかし、代表権威が失敗したとき、彼らの服従の内実が露わにされるのです。セムヤペテは、父ノアに権威を授けた神を畏れたので父を敬っていました。だから父が醜態をさらした時、彼らは悲しみ、父の恥を覆ったのです。しかし、ハムは単に父ノアが人間として立派な人であるかぎりにおいて、父ノアに従順であっただけでした。ですから、父が失敗し醜態をさらすと、彼は父を侮辱したのです。ハムは、神を畏れることを知らない肉の人であることを暴露したのです。

結果、セムヤペテは祝福され、ハムとその子孫は呪われました。神があなたの上に立てた権威とは誰でしょうか。神は、あなたの上に立てた権威を用いて、あなたの信仰の質を試されます。