苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

小淵沢、清里

 26日、兄家族を連れて小淵沢清里に出かけた。小淵沢の佐藤さん宅で家庭集会。近所の田中さんたちも集われた。学んだみことばは、主イエスが語られた、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」という教えである。キリストがくださった御霊のいのちには、それにふさわしい柔軟なライフスタイルがあるということ。形よりも、神の前における愛の実質が肝心。
 出かける前は、内心、兄姉姪が緊張しないかと思ったのだが、佐藤さんご夫妻の肩の力の抜けた明るくおだやかなお姿と林の中の素敵なお住まいのなかで、終始リラックスしてたのしくすごしていた。佐藤姉は義姉の癒し・リハビリのためにずっと祈り会で祈っていてくださってきた。
 今回はもうひとつ心配があった。ミニチュアダックスのロダを連れて行ったので、猫のふう太との初対面がどうなるかということだったが、ふう太はお出かけで対面は成らなかった。下の写真は佐藤さんちの庭のアザミではないが、アザミに似た花。その下の白いアジサイアナベル



 帰りは清里の「萌木の村」に立ち寄った。清里バブル経済のころのほんの一時期、若者の間では軽井沢の人気をしのぐリゾートになって多くのペンションが建ったが、バブルがはじけて後は、ふるわなくなっている。駅前のパステルカラーの店が軒を連ねる通りはさほど人は歩いておらずシャッターのしまった店もいくつかある。そんな中でも訪ねる人が多いのは昔からあるポール・ラッシュの清泉寮と、こちらは比較的新しいが萌木の村である。軽井沢のように平地ではなく緩やかな勾配の林や草地をぬける遊歩道のかたわらに、ヘンゼルとグレーテルを思い出させるような、あるいはハイジや赤毛のアンがそのあたりから出てきそうな、小さなお店がぽつりぽつりと並んでいる。一年中クリスマス用品や飾りが並ぶお店とか、手芸品の店とか、女性が好みそうなものが売られている。男の好みそうなのは、手作りハムの店くらいか。歩いている人たち以外はヨーロッパ風。

 どこかで食事をしようということになり、ロックという食堂に入った。バルコニーに犬を連れて入ることができたからである。おなかがすいた私はビーフカレー、兄はベーコンカレー、女性たちはなにかパスタを食べていた。ベーコンカレーはルーの上にどさっと厚さ5ミリほどもある自家製ベーコンが載っていた。おなかいっぱいになったあと、お土産屋さんに寄って、駐車場でポール・ラッシュという名のオルゴールの野外演奏を聴いて、帰途に着く。家まで30分ほど。

 帰り道、井出さん宅でホットプレートをお借りしに行った。ご家族は畑に出ておられて、玄関にホットプレートがあって新鮮なキャベツとズッキーニが二つずつのっかっている。いつもながらプラスアルファの親切。「ええキャベツや!」と兄がパンパンとキャベツをたたきながら何度も言っていた。
 なぜホットプレートか? 今年一月に帰省したときに食べたあの広島風お好み焼きを兄に作ってもらって、家族に食べさせたかったからである。そのあとスーパーで、紅しょうが、豚肉、玉子、揚げ玉、お好み焼き粉、やきそばなどを手に入れて帰宅。そして、夕方までしばらく休んだあと、夕食には兄が腕をふるってくれた広島焼きに、一同、舌鼓を打った。ごちそうさまでした。

 筆者が兄に教えてもらって焼いた最後の一枚。

 兄夫婦と姪の姿を見ていて、義姉の大病によってかえって家族の絆が深まったのだなあと思った。また離れているけれども、私たちとの交わりも同じように深くなった。病はできれば避けたいと私たちは思うし、そういう気持ちはしぜんなことである。だが、かりにそういう大きな試練を与えられたなら、すなおに前向きに生きようとするなら、神はそういう苦しみを通してよいことをしてくださるのだなあと思った。