苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

軽井沢

 故郷から兄家族が訪ねて来てくれた。義姉は昨年暮れに思いがけぬ大病を得たが、この夏には信州の我が家を訪ねるということを目標にして、前向き積極的にリハビリに励んだ結果、その願いがかなったのである。
 兄たちは軽井沢に行ったことがないというので、25日月曜日は軽井沢に連れて行った。小海から車で1時間半ほど。恵みシャレーに車を置かせていただいて、林を抜けて旧軽井沢へと向かう。家内は高校卒業後の一年間、軽井沢で暮らしたことがあり、このあたりは自転車でよく行き来したそうで、道案内をしてくれる。ちなみに、全国的には「かるいざわ」と呼ばれるが、地元では濁点ぬきで「かるいさわ」と呼ばれる。
 車椅子を押して雲場池の北を抜けてゆくと、大きくて古い別荘が林のなかに散在している。ひとつひとつの敷地が300坪〜500坪ほどはあろう。林を抜ける風が少ししっとりとしている。標高は軽井沢と小海は同じで気温も似たようなものだが、小海あたりの林はほとんどが針葉樹の唐松林で根が浅いので森の地面がからりとしているが、軽井沢の林はクヌギやナラなどの広葉樹林で根が深く広がって保水力があるので林の地面は美しく苔むしている。軽井沢は避暑地として有名だけれど、実は湿気が多く霧も出るので、一年通じて林の中で暮らすには、除湿機がいくつも必要である。唐松林は保水力がないとか、どんぐりをならせないので動物たちが住めないとか批判されることが多いのだが、森のなかがからりとしている点では気持ちよい。もし林の中の家に定住するというなら、軽井沢よりも八ヶ岳山麓を勧めたい。
 旧軽井沢の軽井沢銀座と呼ばれる通りは拡幅されて、観光客で賑わっていた。はちひげおじさんにその店の前でばったり出会って、いろいろと講釈していただいた。ミツバチの針を手にぷちぷち刺すとか、頭に刺すと血行がよくなるとかいう話で、兄と義姉は恐る恐る刺してもらっていた。痛くもなんともないとのこと。また、筆者は蜜と酢をまぜで薄めたものを目薬としてさしてもらった。三秒間だけ痛いけれど、十秒たって目を開けるとぱっちりとよく見えるようになると言われた。目を開けてみると、なんとなくそんな気がしないでもなかった。
 そのあと、ユニオン・チャーチと同じ敷地にある日本語学校まですたすた歩いて3分ほど。敗戦後の日本を訪れた宣教師たちは、この小さな日本語学校で語学教育を受けて、キリストの福音を携えて日本中に散っていったのだった。筆者がユニオンチャーチを訪ねるのは30年ぶり。ずいぶん古ぼけて、終戦後の歴史の異物のような雰囲気になってしまっているのが、寂しい気がする。玄関にかかげてある写真のなかには、TEAMの宣教師たちが松田政一牧師夫妻を囲む集合写真があった。宣教師のなかには若き日のチェンバレン先生、マクビティ先生、ストローム先生たちの顔も見えた。


 ユニオン・チャーチ


 軽井沢日本語学校

 おなかがすいてグーグー言い出した。そこで、旧軽井沢の新しくできたプロムナードで中華屋さんでおなかを満たして(これがおいしかった!)、めぐみシャレーまで散歩して戻る。恵みシャレーの庭に、40年前に宣教師たちが造ったという喫茶店ウッドシェッドでお茶とお菓子をいただいた。ウッドシェッドとは薪小屋という意味。ほかに客がおらず美しい庭を眺めながら、宣教師たち独特のアンティークのある静かなお店の中で、ほっと一息。