苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

花のこと

 東京に住んでいた頃、花の名はほとんど知らなかった。十七年前からここ信州小海町に住むようになり、種をまく地面を得てから少しずつ植物のことを知るようになった。だが、私のおもな関心は農業だった。9年間、ただで借りた130坪ほどの畑でいろんなもの、トマト、キュウリ、枝豆、ナス、インゲン豆、ジャガイモ、サツマイモ、ネギ、タマネギ、キャベツ、ニンジン、ホウレンゾウ、コマツナオカヒジキシュンギク、シシトウ、ピーマン、アマランサス、カボチャ、スイカなど手当たり次第に作ってみた。やがてその畑には家が建ってしまって使えなくなり、現在では5坪ほどの小さな畑でトマト、キュウリ、シシトウ、イチゴなどを作るのみである。
 私とちがって、妻はたいへん花が好きである。花屋さんの前に行くと、立ち止まってしまう。そしてお金もないのに、それに、もう植える場所もないのに買ってきてしまう。ある日「どうして?」と聞いたら、花が彼女に「連れてって」というのだそうだ。そういう声が聞こえるならば、まあ仕方がない。それで、私の小さな農園は野菜と花がせめぎあっている。
 一昨年の春、このブログをスタートしてみて文字ばかりでは味気ない、写真を載せようと思い立った。それで、散歩のときにはいつもカメラを持ち歩き、妻に花の名を教えてもらう。驚いた。四季折々に、実にいろいろな花がある。もうひとつ気づいたのは、自分は栽培された花でなく、野に咲く花に心魅かれるのだということである。パンジーよりも、野生のスミレのほうが好ましいし、植木鉢に立派に作られた菊よりも野菊のほうが好ましい。そこに生き生きとしたいのちを感じる。
 妻とは、今年で、いっしょに生きてきて25年目になる。神学校を卒業後、春の天城の教団総会で、二年ぶりに彼女に会った。頭をさげて私の目の前を通り過ぎたあの日の彼女は、春の野に咲くタンポポの色をしたカーディガンを着ていた。

百日草(ジニア・プロフュージョン)かな