苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

三陸の町々の再建・・・・限界を認めることで明日が見える(修正しました)

 本日、息子の参加している信州チームは大船渡市の救援に入ります。OMFや長老教会のチームといっしょにご奉仕するそうです。大船渡の津波のようすを昨夜youtubeで見ました。恐るべきものでした。お祈りください。
 ところで長年、土木工学を講じてこられた元教授から原発震災についてお便りをいただいて、お返事を差し上げました。若干、改訂したものをここに記しておきます。
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I先生


 先生のご専門からすると、堤防の決壊が大きな衝撃だったのでしょうね。
 しかし、過去の三陸沖大津波の事例から考えると、本物がやってきたらあの世界一の大堤防が役に立たないことは、失礼ながら申し上げるのですが、以前から三陸津波に関心をもって見ていた私ごとき素人にすらわかっていたことでした(2010年1月24日記事参照)。もし、「堤防があるからだいじょうぶだろう」と思って家に残ったいた人がいたならば、堤防はなんのためにあったのかと考えさせられてしまいます。(筆者注:コメント氏によれば、そういう人はほとんどいまいとのことですが、もう一方でそういうお年寄りがいたとも伝え聞きます)(以下一文修正)もちろん今回以前に何度かやってきた小規模な津波は防いでくれたのですから、それなりの意味はあったことは事実ですし、今回の津波でもそれなりの役割は果たして、津波の到達速度を遅らせたのでしょうけれども、いったん乗り越えられてしまうと、どうにもなりませんでした。
 プレート境界型地震によって生じる津波というのは、日本の記録では1771年に石垣島を襲った85.4メートルの津波で、本州での最大の津波は1896年岩手県綾里村(現大船渡市)の38.2メートルだそうです。ところが、三陸の大堤防は10メートルほど。それがわかっていても、予算からも技術からも無理だから10メートルほどにしていたのでしょう。それは理解できます。
 ですが、今回の出来事と過去の事例から、私たちはプレート境界型地震による大津波を堤防で防ごうという了見がそもそも間違っていることを認めるべきでしょう。まさか高さ50メートルも100メートルもある堤防なんて考えられませんから。人間の技術力の限界を認めることです。私たちの信仰の出発もそうでしたが、自分の限界を認めるところから、新しい正しい出発があります。

 そこをふるさととする方たちは、今、津波は去って「当分来ないだろうから」と同じ場所に戻ってきはじめているようです。(地元のコメント氏から、『決してそんなことはない』と抗議がありました。ぎりぎりの状況で戻っているというのが本当だとのことです。)しかし大丈夫とは到底思えません。かりにご本人の生きている間は大丈夫でも、そのお子さん、お孫さんの時代に同じことになってしまいます。三陸沖大津波はずっと昔から、繰り返し繰り返し多くの人を呑み込んできました。「運命として受け入れよ 」というのは禅坊主のいうことではあっても、政治家のいうべきことではないでしょう。
 これからの三陸海岸の新しい町造りは、低地は大きな川の堤でそうしているように、すべて緑地帯・公園・遊水地として、住居をはじめとする建物は高台に造るべきなのだと大前研一氏が話していました。二度と、この悲惨な出来事を繰り返さないためには、確かにそれ以外方法がないと思います。I先生からどなたか三陸の町々の再建にかかわる方に、この提案をお伝え願えないでしょうか。
参照>http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/3e1fc182fc21458e76c772a7a70bff60/


  869年三陸地震貞観三陸地震)・・・M8.6-9.0

 1611年三陸地震慶長三陸地震)・・・M8.1

 1896年三陸地震(明治三陸地震)・・・M8.5

 1933年三陸地震昭和三陸地震)・・・M8.1

 2011年3月11日・・・今回の大地震 ・・・M9.0


        主にありて         筆者名

追記>ここにも同じ意見があるのを見つけました。
http://opinion-dmori.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-cbf1.html