苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

改めて、即時脱原発

 現在、いろいろなアンケートでは国民の四分の三が「脱原発」を望んでいるとされているが、311地震から7ヶ月が経って、余震も少なくなって、即時脱原発はムリで、段階的に30年くらいかけて脱原発でいいんじゃないかという空気が強くなっている。日本人は極端がきらいなのである。私もそうなのだが、原発については、そうもいかない。
 というのは、残念ながら今後30年間、大きな地震が日本列島のいずれかの原発を襲うことを待ってくれる可能性は非常に低いからである。日本には54基もの原発と核燃料再処理工場があるのだ。
 今回起きた宮城沖、三陸地震については、地震予知連絡会は事前に30年以内に99パーセントやってくることを予測していた。福島沖については非常に低く見積もっていたことばかりがマスコミで取り上げられがちだが、それなりに的確な予想をしているのである。
 原発とのかかわりでいえば、浜岡原発相模湾震源域とする小田原地震が1923年に起こって関東大震災を引き起こした。30年以内に70パーセントの確率といわれていたが、今回の311地震をうけて98パーセントに引き上げるべきだという見解も発表されている。
 浜岡原発をもっと直接に襲うのは東海地震である。東海地震は311地震前でも30年以内に87パーセントと言われていた。もう有名になったが、東海地震想定震源域の真ん中・真上に浜岡原発は位置している。しかも敷地内に5本の断層が通っている。東海地震は直下型のプレート境界型の巨大地震であるから、津波を待つまでもなく、原発は即座に破壊される。さらに、東海地震はもともと静岡から四国沖まで続く長大なトラフを震源としていて、過去の歴史を見れば静岡から四国まで全域で一度に起こったケースがほとんどである。浜岡原発廃炉については訴訟の真っ最中である。
 東北地方を見れば、311地震では岩手沖から福島沖までが連動したが、崩れ残ったトラフが青森と茨城の太平洋側の沖にあって、いつ崩壊するかわからない。青森には六ヶ所村再処理工場がある。ここに膨大な使用済み核燃料が保管されていて、プルトニウムを抽出することがこの工場の仕事であることは周知のこと。
 日本海側を見れば、列島の地震の巣のひとつである新潟には、柏崎刈羽原発がある。若狭湾敦賀湾には14基の原発がひしめいているが、ほど近い福井は先の戦後混乱期の1948年に大きな直下型地震に襲われて甚大な被害を出したことがある。特に敦賀原発の3つの原発活断層の真上にある。福井地震東南海地震に連動して数年後に起こった。この原発銀座を大きな地震が襲った場合、特に北西の風の季節には関西・中部・関東全域が放射能の雲に覆われるだろう。下は若狭湾周辺の断層図である。

 四国愛媛県伊方原発は四国から九州に伸びる角の上にある。伊方原発は四国を貫き紀伊半島を南北に分断する長大な活断層である中央構造線のすぐ南、ほぼ真上に位置している。

  (http://j-jis.com/danso/d089.shtml
 ざっと挙げてみただけであるが、この列島には54基の原発があり、再処理工場があって、これらの原発浜岡原発をはじめとして、地震の想定震源域の真上にあったり、敷地内を活断層が何本も通っていたりという実情なのである。30年、40年かけて「段階的脱原発」などとのんきなことを言っているが、その前に第二、第三の原発破綻が起こる。日本の原発はほとんど震度5までというのが設計震度なのだが、今、列島は震度6弱以上、ときに震度7地震にも頻々と襲われている。
 下の図は地震原発立地をセットにした地図。

 こうした実情をかんがみるならば、もしこの列島に住み続けようと願うならば、即時脱原発の決断をするほかないことはあきらかであろう。そう決断してもただちに全原発を停止して廃炉するまでには10年〜30年かかり、その途上で地震に襲われる危険性がかなりあるのである。そして核燃料と使用済み核燃料をどこに保管するかという問題は残っている。めんどくさいものを造ってしまったものである。