苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

列島巨大地震年表

 日本列島を過去襲った大地震の年表を作ってみた。3ヶ月ほど前にExelで作ったのだが、ここにアップする方法が思いつかないでいたが、今日ふと思いついたので、やってみたらアップすることができた。(ペイントではエクセルのファイルは開けない。エクセルで作った表を選択して、ペイントの画面にドロップするとOK.)連動したと思われる大きな地震は同色で表示している。地震地震の間の括弧内の数字は隔たりの年数で、これを見ればおおよその周期がわかる。南海、東海、東南海に比べ、小田原、南関東、宮城、三陸の古いところに空白が多いのは、この地域は過去にあまり地震がなかったということではなく、調査がそれほど進んでいないか、記録する文献が少ないかということ。

 この表を見てみると、まず、宮城沖地震はわずか30〜40年周期で来ていることに驚く。つぎに東南海−南海−東南海−東海地震はほとんどの場合、いっしょに起こったことがわかる。基本的に東南海から東海にかけての地震は「ひとつの地震」なのである。これも遠からずやってくる。また、相模湾震源とする小田原地震(いわゆる関東大震災)も、その70年ほどの周期を見ると、前回が1923年であるから、来ないのが不思議であって、明日やってきてもおかしくない。
 備えはどうだろうか?今、停止している浜岡原発は再稼動せず廃炉に進めるべきである。震央にある浜岡原発を襲うのは直下型の巨大地震である。激しいたて横の揺れに原子炉がとうていもつとは思えない。
 今回の巨大な津波を見れば、浜岡原発のみならず静岡県津波対策はほとんどなきに等しい。浜松市は従来5メートルの津波を想定して、5メートルの防潮堤しか造っておらず、しかも、市民が津波のときに逃げる高台もない。8月になってようやく小中学校の校舎屋上に外から上ることができるように階段を造るため、2億ばかりの補正予算を組んだというお粗末さである。
 もちろん、上の表には載せたのは過去の大地震の一部にすぎない。たとえば、日本海側の鳥取では戦時中1943年にはM7.2の後、静穏期にはいり、活動期にはいって最近2000年にはM7.3の地震が来ている。若狭湾敦賀湾の原発銀座の近い福井では戦後まもない1948年にはM7.1の都市直下型地震(死者3728人)が起こっている。新潟では、1964年にはM7.5の新潟地震があり、最近になって2007年にM6.9規模の新潟中越沖地震があって柏崎刈羽原発が被災したことは記憶に新しい。