1. 東西の教会
東西の教会は中世初期までの長い時間をかけて分かれていき、1054年に分裂する。文化的な違いがもともとあった。言語についていえば、西方はラテン語を、東方はギリシャ語を話していた。思想的には東方は哲学的で、西方は法的である。
東西で政治的状況のちがいもある。西方は西ローマ帝国政府が早くに(476年)倒れたので、その空白を教会が埋める必要があるという時代があったのに対して、東方では東ローマ帝国政府はさらに千年間生き続け、教会を支配しつづけた。こういう違いがあったにもかかわらず、古代においては東西の教会が一つの教会だという意識が強かった。しかし、それが徐々に分かれていくことになる。
2. カルケドン会議までのキリスト論論争
キリストと神との関係は、ニカイア会議(325年)とコンスタンティノポリス会議(381年)で決着済みだった。エイレナイオスのいうように、「キリストは、人であるゆえに人の罪を担うことができ、キリストが神であるゆえに贖罪の能力を持っている。」では、「イエス・キリストの中において、どのように神性と人性が一つとされているか」というのが次の課題だった。東方教会には、人間を救うために人となられたその人性を強調するアンティオキア学派、神の真理を教える教師として神性を強調するアレクサンドリア学派二つの潮流があった。両派ともにイエスは神であり人であると信じていたが、「どのように」イエスは神であり人であるのかという点が問題だった。
アレクサンドリア学派:真理の教師としてのキリスト。神性を強調。
アンティオキア学派:人間の救い主としてのキリスト。人性を強調。
西方教会では、テルトゥリアヌスの「キリストのうちにおいて、二つの本性が一つのペルソナに結合されている」という定式で、解決済みだった。このような定式化は教会の歩みにとっては、大事なことである。
(1) アポリナリオス・・・・アレクサンドリア学派
キリストにあっては、ロゴスが人間の理性的精神に取って代わったと考える。言い換えると、人間にとって知性もしくは理性的霊魂が果たす役割は、イエスのうちにおいては神のロゴスが果たしている。つまり、人間の肉体に神の精神が宿っているということ。
これはキリストの神性を強調するアレクサンドリア学派にとっては問題と感じられなかったが、キリストの人性を強調するアンティオキア学派にとってはまったく不十分だった。人間の肉体に神の精神が宿っていても、それはほんとうの人間ではない。したがって、人間の救い主にはなりえないというわけである。(参照→ベッテンソンpp81,82)
アポリナリオスの主張は、最終的に381年コンスタンティノポリス公会議で拒絶される。
(2) ネストリオス・・・・・・アンテオケ学派
ネストリオスは、マリヤを「セオトコス(神を生んだ人)」と呼ぶことを拒否し、「キリストトコス(キリストを生んだ人)」と呼ぶべきだと主張した。この主張の意味は、マリヤを問題としたのではなく、イエスを問題としたのである。マリヤを「キリストを生んだ人」と呼ぶべきだというのは、イエスの人性を強調するためであった。逆にセオトコスはイエスの神性の強調であり、アレクサンドリア学派では一般的だった。
ネストリオスは、イエスの内には「神と人という二つの本性と二つの人格」が存在すると主張した。アレクサンドリアの司教キュリロスは、ネストリオスを厳しく攻撃し、431年エペソ公会議でネストリオスを異端とした。
ところが、対抗会議をネストリオスの支持者ヨアンネスが開き、キュリロスに異端宣告をした。そこで皇帝テオドシウス二世が介入し、433年「一致定式」でキュリロスとヨアンネスが合意したものの、ネストリオスは異端とされて追放されペルシャで別に教会を建てる。これが唐の時代の中国にわたって景教と呼ばれる。
だが、実は、ネストリオスを異端と認定したのはキュリロスと教会のまちがいであった。「ネストリオス主義」という異端の教えは、ネストリオス自身の教えではなかったし、彼が設立してはるか中国にまで伝わった景教の教えでもない。ネストリオス自身と景教のキリスト教は、アンテオケ型の正統的なキリスト教であった。(詳細は、ジョン・M・L・ヤング『徒歩で中国へ』(イーグレープ2010年)の5章、6章を参照せよ。)
(3) エウテュケス・・・・・・・極端なアレクサンドリア学派「キリスト単性論」 参照:ベッテンソンp87
キリストは「父と同一の本質」ではあるが、「我々と同じ本質ではない」。また、救い主は「結合の前には二つの本性に由来したが、結合の後は一つの本性をもった」とも。
ただ問題はキリストの神性のみを主張しており、キリストの人性を否定しているので、グノーシスのドケティズムの主張に極めて近いことになると非難された。コンスタンティノポリス主教フラウィアノス(フラヴィアン)はこれを異端宣告。エウチュケスはローマ監督レオに上訴するも、レオはフラウィアノスを支持。
(4) カルケドン教会会議451年(後に第四回公会議と呼ばれる)
カルケドン会議は、「キリストのうちに二つの本性が一つの人格となって存在している」いわゆる二性一人格というテルトゥリアヌスの定式を確認した。
カルケドン会議は、極端なアレクサンドリア学派と極端なアンティオキア学派を退けた。エウテュケス主義は明白に拒絶。また、先に開かれた325年のニカイア、381年のコンスタンティノポリス、431年のエペソ公会議の決定を再確認した。
ところが、シリア正教、コプト正教、エチオピア正教、アルメニア正教はカルケドン会議の結果を拒否した。単性論として排斥されたが、彼ら自身はその呼称を拒否しているので、非カルケドン派と呼ぶ。
* ベッテンソンp91カルケドンの定式
カルケドン信条
されば、聖なる教父等に従い、一同声を合わせ、人々に教えて、げにかの同一なる御子我らの主イエス・キリストこそ、神性に於いて完全に在し人性に於いてもまた完全に在し給うことを、告白せしむ。主は真実に神にいまし、 真実に人でありたまい、人間の魂と肉をとり、 その神性によれば御父と同質、人性によれば我らと同質にして、罪を他にしては、全ての事に於いて我らと等し。神性によれば、万世の前に御父より生れ、人性によれば、この末の世に我らのため、また我らの救いのため、神の母なる処女マリヤより生れ給えり。同一なるキリスト、御子、主、独り子は二つの性より成り、そは混淆せられず、変更せられず、分割せられず、分離せられずして承認せらるるべきなり。されば、この二つの性の区別は、一つとなりしことによりて何等除去さるることなく、却って各々の特性は保有せられ、一つの人格と一つの存在とに合体し、二つの人格に分離せられず、分割せられずして、同一の御子、独り子、御言なる神、主なるイエス・キリストなり。げに預言者等が、昔より、彼につきて宣べ、また主イエス・キリスト自ら我等に教え給い、聖なる教父等の信条が我等に伝えたるが如し。
(東京基督教研究所訳)