苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

テモテとの出会い

使徒16:1−5
2010年8月1日 小海主日礼拝
 「信仰による真実のわが子テモテ」(1テモテ1:2)とも「愛する子テモテ」(2テモテ1:2)とも使徒パウロが呼んだテモテとの出会いが、本日のテキストです。この日から、テモテは非常にすぐれた忠実な牧師として育っていくのです。パウロはどのように、この青年テモテがダイヤモンドの原石であって、磨けば主の福音のすばらしい器となると見抜いて、導いたのでしょうか。

1.テモテとの出会い
 これまで非常にお世話になったバルナバと青年マルコと別れ別れになりましたから、鉄の意志の伝道者パウロであってもさすがに胸のうちには寂しいものがあったと思います。しかし、そんな思いを振り払って、パウロはシラスを助手として連れて第二回目の陸路、伝道旅行のためにシリヤのアンテオケを立ちました。左手に地中海を見、右手に緑の山並を見ながら、北に進み小アジア半島の付け根で西に折れて内陸の道を行くとデルベついでルステラに到着します(1節)。
 ルステラといえば第一回伝道旅行ですさまじい経験をさせられたところです。ルステラの城門で生まれながらの足なえを立ち上がらせるという、いやしの奇跡を行ったところ、人々から神々として祭り上げられたと思ったら、数日後には、パウロは石打の刑に処せられたのです。

(1)継承された純粋な信仰
 ここにテモテという青年がいました。その背景と人となりが説明されています。(16:1後半、2節)
 テモテという名前は、誉、名誉という意味ですから、ホマレくんということです。ホマレ君のお母さんが信者であるユダヤ人女性であって、お父さんはギリシャ人であったというのです。どういう事情があったのかはわかりませんが、テモテのお母さんは異邦人と結婚し、息子テモテをえたのでした。ユダヤ教徒が、異邦人、異教徒と結婚することは、もちろん信徒としてよいことではありません。ギリシャ人の父親は、ユダヤ教の会堂に集う人となっていたのかもしれませんが、それでもユダヤ人にとっては醜聞となることでした。
ほかに後年パウロがテモテあてに書いた第二の手紙によれば、彼のお母さんの名はユニケといい、おばあちゃんはロイスといいました。(1テモテ1:5)ここにあるように、ユニケとロイスはともに敬虔な婦人で、テモテは幼い日からおばあちゃんとお母さんから、聖書(当時としては旧約聖書のみですが)のことばをずっと教えられてきたのでした。父親の名が出ていないのは、あるいはすでに母親がやもめになっていたからかもしれませんし、あるいはギリシャ人の父親はそれほど息子テモテの信仰教育に熱心でなかったからかもしれません。どうも子どもへの信仰教育は、多くの場合、子どもと日ごろ接することの多い母の影響が大きいのだと思わされます。たとえ夫が異教徒であっても、子どもにちゃんと神様のことを伝えていくというのは主に召された母親の役割ですし、神様はそれを祝福してくださいます。
パウロもコリント人への手紙第一7:14で「信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。」と言っています。聖められているというのは、この世の人々から区別されているという意味です。妻がクリスチャンになるならば、神様はその夫、そして子どもを特別なお取り扱いのうちに扱ってくださるのだという意味です。たとえばソドムが、その罪のゆえに滅ぼされそうになっていたとき、神様はロトとその妻と、娘たちとその娘の夫たちを救出しようとなさいました。あのとき夫たちはばかばかしいと言って、ついては来なかったのですけれど。神様はこのように、妻が救われるとその夫や子どもを特別の恵みの扱いの中に置いてくださるのです。
それはさておき、祖母ロイスと母ユニケは具体的にどのようにしてテモテに信仰の継承をしたのでしょうか。それは、テモテがごく幼い日から、聖書に親しませたということです。「はじめに神が天と地を創造した。」から始まって、テモテは幼少期から神のことばに親しみ、蓄えてきたのです。聖霊はみことばを通して私たちに語りかけてくださるのですから、そのみことばを幼いうちから心に蓄えることは、信仰継承の基礎となるのです。子どもには聖書のことばはわからないというのは間違いです。正しい理解が伴っていくように導くことはもちろん大切ですが、聖書のことばをまるごと心に蓄えていくことが力となるのです。こうしてテモテのうちには、祖母と母の純粋な信仰がみごとに受け継がれていました。(2テモテ3:14,15)
 このように、み言葉にあるとおりです。神様を愛する母とおばあちゃんとの人格的なふれあいを通じて神様を知り、祈ることを学び、聖書のことばをたくさん心に蓄えることによって、テモテは純粋なよい信仰を得ることができたのでした。使徒パウロが青年テモテを見込んだ第一のポイントは、彼が純粋な信仰をもち、みことばに親しんできた人物であったことでした。

(2)評判のよい青年
 しかも、青年テモテはルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人でした。テモテの純粋な信仰は、その教会における態度、生き生きとした奉仕、兄弟姉妹への愛の実践、伝道といった生き方に現れていて、ルステラとイコニオムの兄弟姉妹たちの間で評判がよかったのです。それでパウロとシラスがやってくると、テモテの評判がすぐに耳にはいったのでした。パウロは実際にテモテにあって、これはすばらしいものになると確信したのでした。そして自分の手元において伝道者として訓練したいと考えました。
 教会の初代の執事の選出のとき、その選出基準として、「御霊と知恵に満たされた評判のよい人を選びなさい」と書かれていたことを覚えているでしょうか。「御霊に満たされている」とは御霊の実、キリスト的な品性「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」が備わっていることです。つぎに、「知恵に満たされている」とは御霊の賜物です。その人の能力です。教会においてみことばを教える能力、群れを治める能力です。御霊の実を豊かに結んでいる人であっても、教えたり、治めたりして、人間関係を調整し育ててく力がなければ教会を導くことができませんから。そして三つ目が「評判がよいこと」です。教会の内外で評判がよいことは、長老の条件として後にテモテへの手紙にパウロも書き記すところです。教会の信頼、支持を得ることができてこそ、その人は教会の奉仕者として教会にお仕えすることができます。
 たしかに伝道のため主に献身した者にとって、神様からの伝道者としての召しを受けていることがまずたいせつです。伝道者は、人のごきげんをとるために奉仕するのではなく、神のために奉仕する人でなければなりませんから。もし、人の歓心を得るためにみことばを水増しするならば、その伝道者は主のしもべとは言えませんし、水増しした説教は結局、教会を滅ぼすことになります。
しかし、一般的に言って伝道者は主の召しを受けている自覚をもつとともに、教会の兄弟姉妹からの評判がよいということが大事なことです。たとえ「人がなんと言おうと関係ない。私は神の前に献身しているのだ!」といくら頑張ってみたところで、教会の兄弟姉妹からの評判がよくなければ、実際に教会に仕えてご奉仕することはできません。たとえば、サウロ(後のパウロ)はかつて教会迫害の急先鋒でしたから、ダマスコで主から召しを受け、独りアラビヤでみことばも学び直しましたが、その学びを経てエルサレムにやってきても、なかなか教会で奉仕する道が最初は開かれなかったでしょう。彼が過去の所業のせいで、評判が最低最悪だったからです。教会内で誰からも信頼の厚かったバルナバが、パウロの事情を聞いて理解してとりなしてくれたからこそ、ようやく主の教会で奉仕する道が開かれたのです。
 伝道者として献身するということは、たしかに、誰か人に頼まれたとか勧められたからではなく、主がその人を召されたことに対して、自分をおささげしますという意志を持って答えることです。人の歓心を得ようとして、第一とすべき神をないがしろにしているならば、神のしもべとはいえません。しかし、もう一面、伝道者が神の民である教会を形成し、教会に仕えるという任務を負う以上、教会に信頼され支持される評判のよい人物であることが求められます。もしあなたが「私は主に伝道者としての召しを与えられました。」と言っても、もしあなたをよく知る兄弟姉妹が、「悪いけど、あなたはどうみても伝道者・牧師に召されているとは思えない。あなたのような人が話す説教が神のことばであるとは、とうてい思えない。」と言われるとすれば、よほどよく自己吟味したほうがいいです。
ですから、神学校の入学においても、あるいは教団の教師試験においても、必ずその候補者の教会と牧師の評価・推薦状が求められ重視されます。つまり、教会に仕える伝道者は、学科試験の結果がどんなによくても、その人が魂をすなどり、主の教会を治めて教会に仕えていくにふさわしい品性と賜物(人を治め、人を教える力)を備えた人であるかどうかという評判が審査されるのです。
 パウロは、この諸教会で評判のよい青年テモテに目をつけました。テモテは、若いけれども十分に信頼のおける人物であり、その純粋な信仰と伝道へのスピリットを育てるならば、きっと主のお役に立つ伝道者となるにちがいないと見て取ったのです。そして、パウロの判断は正しく、彼はこの後パウロのよい補助者として奉仕をし、また、後にはエペソ教会の牧師となって行きます。生涯にわたって、テモテは主のためにすばらしい奉仕をささげる伝道者となりました。

2.テモテへの割礼

 パウロは、ルステラの町に生まれた教会から青年テモテを、自分の補助者として、そして将来の伝道者候補として、選び出して、自分の手元で訓練することを願いました。ところがこのことを実行するにあたって問題となりそうであったのは、テモテが異邦人であるギリシャ人を父親としていて、まだ割礼を受けていないことでした。(使徒16:3)
もちろん原則をいうならば、キリスト教信仰において割礼を受けているか、いないかということ自体は、小さなこと、どちらでもよいことです。すでに割礼を受けた人はそれを隠す必要はないし、割礼を受けていない人はそのままでよいのです。先に15章で学んだように、異邦人が割礼を受ける必要はないのだ、とエルサレム会議で確定済みでした。
 ただ、ここで問題であるのは、ほかの人々への配慮ということでした、特に、この地域に住むユダヤ人たちをつまずかせないための配慮でした。ユダヤ人たちにとっては、割礼を受けてユダヤ人の資格を得ていない者が、みことばの教師(ラビ)となることなどまったく考えられないことでした。パウロが割礼を受けていない青年テモテを補助者として、伝道者候補として連れて行ったといえば、ただそれを聞いただけで、この地のユダヤ人たちは新しく誕生した「ナザレのイエスはキリストだ」と信じるクリスチャンたちの群れに近づこうともしないでしょう。そうすると、テモテが割礼を受けていないままに伝道者候補となることは、ユダヤ人に対して救いの道をとざすことになってしまいます。そこで、テモテ自身の救いには関係ないけれど、ユダヤ人に福音を伝えにこれから出かけるときに、つまずきにならないように配慮したのでした。
 パウロはキリストの福音が伝えられるために、少しでもつまずきになりそうなものは、自分の権利を放棄してでも取り除くという姿勢を持っていました。 1コリント9:19,20にある通りです。

 ことがらを一般化して、私たちクリスチャンの行動原理をあきらかにしてみましょう。クリスチャンの行動には三種類のことがあります。一つは明白に正しく主がお命じになっていることです。誰が反対しようとも、私たちは伝道をしまことの神を礼拝し、父母を敬わなければならないということです。第二は十戒に違反するあきらかに罪であることです。偶像礼拝、殺人、泥棒といったことです。そして第三は、それ自体は罪ではないけれども、その状況によってつまづきそうな人をつまずかせないための愛の配慮をもって自分の権利と自由を制限する必要があることです。割礼はこの第三番目に属することでした。偶像にささげられた肉を食べないこともそうです。クリスチャンは、この世のいろいろな習俗習慣から解き放たれた者ですが、愛のゆえに自分の自由をときには制限するという自由も持っているのです。
 「人を愛するとは、その人が神を愛することができるように助けることであり、愛されるとはそのように助けられることである。」(S.キルケゴール

 このようにして、パウロとテモテをつれて、シラスとともに、あちこちの教会を巡回してエルサレム会議の決定をつたえてあるきました。こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行きました。(16:5)割礼問題で迷っていた諸教会の悩みを解決したとき、諸教会はいっそう確信をもってイエス様の救いを宣べ伝えるようになり、多くの人々が救われたのでした。