苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

信州クリスチャン修養会で

信州クリスチャン修養会に出かけてきました。KGK大嶋重徳主事のお話をふたつ聴くことができて感謝でした。
 ひとつは「神の国はあなたの中にある」ではなくて「あなたがたのただ中にある」であることから説き起こして、神の国は三位一体のまじわりの神に根拠を置く、共同体的・教会的なものであり、その神の国は神のことばが語られ、聴かれるところに建て上げられ、世に向かって開かれたからだとして成長して行くものだと教えられました。

 もうひとつは、今回のメインテーマ「若者とともに生きる教会」というメッセージ・発題でした。主イエスが「子どもたち(幼児〜若者)をわたしのところに連れてきなさい。神の国はこのような者たちのものなのです」から説き起こして、「大人の礼拝」という表現の問題性を問うことから話が始まりました。
 現代の若者たちは、表面的には昔の若者とは異なっていても、本質的には抱えている悩みは同じく、アイデンティティ・愛・人生の目的である。だが、家庭問題、性倫理が壊れた時代、空気を読んで傷つけ傷つけられることを恐れること、フィーリング優先であること、といった特徴がある。
 こうした若者に、どのようにみことばを届けることができるか。提案されたのは、説教後のみことばの分かち合いをし、そのことを通して若者に届くことばを説教者が見出すこと、また、若者のそばにいて励ます存在のたいせつさ、キリストのからだの働きを若者もともにになっていくこと・・・・といったことが提案されました。
 若者が葛藤や失敗をへて大人になっていくように、教会もまた完成を目指す途上になっていくもの。キリストは手間のかかる教会を二千年あきらめないで来て下さった。教会が若者とともに生きようとするときに、当たり前としてきた教会の伝統や習慣が問われ、神が教会に求めておられるものは何かが問われることになる。教会は、そうして伝統に胡坐をかくのでなく途上にあることを自覚して、絶えず自己を改革しつつ神の国の完成を目指して健全な前進していくことができるのではないか。・・・そんなふうなお話でした。
 目を開かれ、深く探られ、勇気を与えられました。