苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

池上彰『そうだったのか!アメリカ』

 「私はアメリカが嫌いです。私はアメリカが大好きです。」
 著者池上彰氏は、本書の前書きでこのように語って、このふたつの相反する感情に折り合いをつけるために、本書を執筆したという。池上氏ならずとも、アメリカに対して同じようなアンビバレントな感情を抱いている人が世界中には多いことだろう。アメリカが大好きな人々が多いからこそ、毎年70万もの人々がアメリカに移民するし、アメリカが大嫌いな人々が多いから、各国のアメリカ大使館を標的としたテロ事件が絶えない。
 本書は、アメリカは宗教国家だ、アメリカは連合国だ、アメリカは帝国主義国家だ、アメリカは銃を持つ自由の国だ、裁判から見えるアメリカ、アメリカは移民の国だ、アメリカは差別と戦ってきた、アメリカは世界経済を支配してきた、アメリカはメディアの大国だという9つの章から成っている。文章はさすが週刊こどもニュースのおとうさんのものだけに、実に平明で読みやすい。
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 自分の中の「アメリカ」はどんなふうに育ったのか、改めて振り返ってみた。1958年生まれの私は基本的にアメリカが好きになるようなテレビ教育を受けて育った。幼い日に放送が始まったテレビは米国輸入番組があふれていた。「トムとジェリー」、「パパ大好き」、「名犬ラッシー」など。特にディズニーランドという番組は美しいアニメーションを提供していた。アメリカに対するあこがれのようなものが自然と胸の内に育ったのだろう。
 小学校一年生のころ、長い夢を見た。私はメリーさんという金髪碧眼の娘さんが好きになって、どういうわけかその娘をさがして長い旅をするという夢だった。ついに出会ったメリーさんはレースのついた白い服を着て、白い船のタラップを登っていくところだった。彼女は、こちらを向いて手を振っていた。そして目が覚めた。ませた子どもだったのか、単純な子どもだったのか。
 70年安保の頃はすでに小学校6年生であったが、住んでいた場所は東京から遠かったし、父母は戦前・戦中派で全共闘世代に対する共感は持たない人たちだったこともあって、私はニュースで「アンポ反対」というデモを見ても、格別の感情を抱くことのないぼんやりした子どもだった。
 アメリカの正義に対して疑問を抱き始めたのは、おそらくベトナム戦争の報道からだろう。それでも、「コンバット」というドイツ戦線で戦う米陸軍の軍曹を主人公としたテレビ番組で、米軍は正義だという刷り込みがされていたから、ベトナムでの戦争でも当初米軍は正義なのだと思っていたのだろう。だが「ソンミ村虐殺事件」の報道に触れたとき、米軍の正義に疑問符が付けられた。だが、「戦争になったら人間はみんな獣になる」とか「こんな事件もあかるみに出して自らさばくところがアメリカのすごいところだ」とかいうお決まりの言葉で疑問はかき消された。
 教会に通い始めると、敬虔な米国人宣教師たちとの出会いと交流があって、アメリカ人に対する好意が増すことになる。故国を後にしてかつての敵国の人々の救いのために宣教師なった人々である。彼らは平均的アメリカ人ではなく、特別善良な人々だった。
 その後、アメリカに対して失望を感じるようになったのは、全共闘世代の先輩牧師との交流の中で米国の問題を聞かされたり、本を読んだからだろう。だがなんと言っても決定的だったのは、ブッシュJr.政権であった。それをきっかけに米国の歴史や社会のことを少しばかり意識して学ぶようになったとき、その失望はますます深くなってしまった。アメリカがエゴイスティックで暴力的で強欲な動きをし始めたのは、なにも最近のことではなく、建国以来ずっとそうなのだということを知ってしまったのである。米国先住民の虐殺をともなう西部開拓、太平洋に出ると、ハワイ、フィリピンへと触手を広げたこと、南米諸国民が選んだ正統な政権を倒して親米傀儡政権を立ててきた事実など。
 こんなわけで、現状としては、筆者はアメリカが嫌いというほうの感情のほうが好きという感情に勝っているのである。だが、それにもかかわらず具体的にアメリカ人の知人・友人のことを思い出せば、暖かい気持ちになってしまう。
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 アメリカに関する本は、読んだらアメリカが大嫌いになるか、逆に、アメリカが大好きになるかのどちらかなのだが、この本はまさにアメリカが嫌いだけれど、大好きな著者の本である。大好きだからといって、相手の過ちに目をつぶらず、欠点に目をつぶらないけれど評価すべきは評価するという、著者の誠実さが感じさせられる。