先週、満丸信昭牧師が天に召された。お葬式は愛弟子の林俊宏牧師が司式され、そのようすをうかがった。
筆者自身は満丸先生とはお交わりの機会がほとんどなかったのであるが、ただ一度だけ先生が仕えておられた湖西キリスト教会のご奉仕にうかがったときに、お交わりいただいたことがある。先生はそのときすでに重度のパーキンソン氏病で、立居振る舞いも会話も不自由になっておられた。
ところが、筆者が「先生、どうか私のみことばのご奉仕のために祈ってください。」とお願いしたときのことである。満丸先生は、ひとたび祈り始められると、まるでご病気が嘘のように、力強く権威に満ちた腹に響くような声でお祈りをしてくださった。心底驚いた。
そういえば、私の妻が二十歳前、信仰のゆえに家を出されて軽井沢のベテルハウスにいたとき、満丸先生が時折、来られたと話していた。保養のためではない。断食祈祷のためにこもりに来られたのである。当時、満丸先生は高崎開拓伝道で苦労をなさっていた。大きなアルマイトのやかんの水だけを飲みながら、何日もひたすら神に向かって祈っておられたという。
祈りの人、筆者にとっての満丸先生はそういう方であられた。