苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

福島第一原発の近所いわきの諸教会を慰問してきました

 
 昨夜、いわき市の諸教会の訪問を終えて、無事もどりました。お祈りくださった読者の方たちに、感謝いたします。
 いわきは屋内退避指示地域のすぐ外側の原発から40キロほどの地域です。避難あるいは屋内退避と指定されていないから国は「安全だ」と言いますが、実際には現地では外出を控えるようにという宣伝カーが走り、人々はマスクをして頭に被り物をしていました。また、ライフラインが多く途絶えて、物資が入って来なくなっていました。大きな津波被害がなかったことは幸いでしたが、派手な崩壊現場の写真を撮りたいマスコミ報道の対象にならないのと、原発放射能への恐怖のせいで、水・食料・燃料といった物資支援が届いていないということでした。類似のことは、茨城県北部においてもあるようです。
 筆者は21日に土浦に行き、22日に土浦めぐみ教会の園バス2台に支援物資を一杯詰め込んで、主にある兄弟たち7名でいわきに向かいました。常磐高速が驚異的スピードで前日復旧したので、段差に用心しながら走りました。これまで現地から多くの方の避難の手配をしてこられ、現地と連絡を細かく取って必要物資を把握している増井先生がナビゲーターとなってくださいました。いっしょにいる間中携帯電話が鳴りっぱなしでした。
 車が福島第一原発の少し南のいわき市にはいると、一見平和ですが、ところどころ段差があり、人影はほとんど見えません。多くの人が自主避難してしまったそうです。いわき市は全国三番目に広い市で、最初に行ったのが勿来キリスト福音教会。太平洋への河口部に近く、津波が堤防を破壊して遡上して来たために、川のそばの勿来の町は泥水が上がってきており、教会堂も床下浸水40センチとなったという跡が見えました。住吉牧師夫妻と兄弟姉妹たちが迎えてくださり、マイクロバス1台分の荷物をみんなで運び入れました。教会には「水があります。おにぎり少しあります。」と張り紙がされて、近所の人たちのよりどころになっていました。
 いわき市全体で水道が出るのが現在4割程度で、全面復旧には4月一杯かかるとのことでした。神学校時代を国立キャンパスでご一緒した住吉先生ご夫妻は、たいへん喜んでくださいました。お元気そうではありましたが、余震が続いている中、既に堤防も決壊しているので、津波情報に昼も夜も耳をそばだてての生活は緊張を強いられてたいへんです。
 人工透析のことで心配していた生亀牧師も勿来に来られてお姿をみることができたことは感謝でした。
 会堂は物資がかなりはいりました。今とくに必要な物資はガソリンです。近所で寄る辺のない一人暮らしのお年寄りなどを訪問して物資を届け、お話をするために必要なガソリンです。ガソリンを入手するには5時間も6時間も並ばねばならないという状況です。軽油は簡単に運べますが、ガソリンは危険物なので入手も運搬も面倒で、こういうときにはディーゼル車が便利なんだなと思いました。軽油はポリタンクで運ぶことができますが、ガソリンは特殊な携行缶が必要ですし大量にも運べません。(出発前、土浦の稲本さんちに泊めてもらったとき話題になったのですが、緊急時に役立たずの車代表は、電気自動車。次が燃料運搬が難しいガソリン車。役に立つのはディーゼル車。オール電化と電気自動車は、電力需要長期低下を見越した、エコではなく電力会社のエゴの戦略だねと話しました。多くの火力発電所を休ませて行なっている今の「計画停電」も原発が必要ですよというPRなんでしょうか。)
いわき勿来キリスト福音教会のビデオ
 クリック⇒http://www.youtube.com/watch?v=HCTJYMTqcxI
 そのあと、勿来の避難希望の兄弟を乗せて、増井先生は地元に留まることを決めているいわきキリスト教会の兄弟姉妹たち、近所のラーメン屋さんに物資を小分けにして袋詰めにしたものを手渡しして、そのあと湯本キリスト福音教会会堂に行きました。ここは水が出ず、内壁の一部が落ちていました。この会堂に物資を下ろしました。湯本はその名のとおり温泉街で、あちこちに温泉旅館やホテルが見えました。今回の地震原発問題で、観光も農業も漁業も厳しい状況に置かれると思うとほんとうに気の毒です。地震だけなら復旧の希望があるのですが。下は湯本キリスト福音教会。建物の被害は見たところ軽微でした。

 勿来で乗せた兄弟が車中話していたのですが、原発プルサーマル化の強力な反対派の佐藤栄佐久知事が悪名高い東京地検特捜部の前田検事の不当捜査とわけのわからん裁判で失脚させられ、その後、自民党系と民主党系の知事候補が立ったので県民は民主党系なら原発の危険きわまりないプルサーマル化を止めてくれると思って投票したのに、民主党系の今の知事はすぐに手のひらを返して非常に危険なプルサーマルを昨年第三号機に導入してしまったということでした。そして、こういう事態になると、政治家も東電の幹部たちも現地にはやって来ない。ここは緊急避難地域の外で安全だというなら来ればよいのに、という兄弟のことばはもっともだなと思いました。私たちの出かけた前日、首相も天気がよくないから、と現地入りを中止しました。

 車はその後、いわき市内のグローバルミッション・チャペル(平福キリスト教会)に向かいました。牧師は森先生。牧師とは書かず、「牧使」という文字を使っているところに、先生の志を感じました。当教会では20人の男性スタッフとボランティアを残して、他の会員は避難を勧め、緊急支援のために被災者のところに食料・水などを初めとする物資を届けて来られていました。物資は会堂内に山ほどあって、これを整理するだけでもたいへんですが、これを困った方たちに届けていました。やはり勿来と同じようにガソリンが必要です。スタッフたちが生き生きと働いているのが印象的でした。また2〜3名の姉妹たちも食事の用意に出入りしておられました。
 森先生がおっしゃるには、これまでは必要なのは水など物資だったが、ライフラインが回復しつつあって、ガソリン以外物資は十分になってきた。これから緊急に必要なのは、被災者の心のケアであり、そのためには避難所や一人暮らしで家にいる被災者の手を握って悲しみのことばに耳を傾け、イエス様の慰めを語ることができる人が必要であるとのことでした。
 平にいる最中、ベルンス・ラインハルト宣教師と運転をする主にある兄弟が大型トラックで来られました。ジャーマン・アライアンス・ミッションの宣教師でいつもは名古屋を拠点に奉仕なさっている方だとのこと。ドイツでは福島原発事故報道が過熱し、以前にドイツはチェルノブイリで被曝したという経験をしていて、今も、ホットスポットとなってしまったドイツ国内のある山は放射能が出るということもあって、ドイツの宣教師たちは母国の親兄弟やサポーターたちからひっきりなしに電話があって、「帰ってきなさい。」と言われて、やむなくほとんどが帰国されたそうです。「私も放射能は怖いけれど、主がお命じになった一番たいせつなことを忘れてしまって、とてもざんねんです。」と話しておられました。
 森先生と、今回一緒に出かけた土浦の清野先生は親友だとのことで、とても楽しい交わりとなりました。帰路は、清野先生とマイクロバスの中でひさしぶりでいろいろとお話をすることができたのも、とっても楽しくうれしかったです。土浦からは避難するS兄といっしょに新幹線で佐久平に到着。小海線は現在燃料問題で朝夕一本だけなので、家内に迎えに来てもらいました。家内はほっとした表情でした。そして、小海・松原湖BCに兄弟を届け、自宅にもどりました。
 このこところ余り寝ていませんでしたが、昨夜は久しぶりにぐっすり休んで、朝、今、これを書き終わりました。これから祈り会、地震対策会議、中学生教室があります。
 お祈りくださった兄弟姉妹、感謝します。私は元気です。

脱原発で安全な国づくり−−省エネ技術で原発無用
クリック⇒http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20110320/p2

浜岡原発震災を防ぐ全国署名にご協力を!

クリック⇒http://www.geocities.co.jp/genpatusinsai/

 左の真ん中あたりに署名用紙ダウンロードあり。