おにぎりは、ぎゅーっと握りすぎると団子みたいで統一性はあってもおいしくないし、にぎりがゆるいとバラバラになってしまう。まとまりがあってしかも一粒一粒のお米が味わえるのが、うまいおにぎりである。
今朝、このたとえを思いついて食卓で話したら、妻が次男にむかって「おとうさんは、婚約時代に、おかあさんがお弁当に持っていったおにぎりを食べて、その話をしたのよ。」と言った。エーッ、今朝発明して悦に入っていたのに、23年も前に話したことだったとは。まあ考えれば日本人ならすぐに思いつきそうな例えではあるけれど。
妻によれば、その日おにぎりを持っていくべきかどうかだいぶ迷ったそうである。『この人お金なさそうだから、お弁当にしたほうがいい』と思ったものの、『でも失礼かしら』と。
当時、私は練馬におり、彼女は浜松にいたので、中間の芦ノ湖のほとりで逢って、湖面をすべる白い遊覧船を眺めながら(遊覧船に乗るお金もなかったので)ベンチにすわっておにぎりを食べた。よく晴れた日だった。公園に石碑が立っていて、恩賜公園とか刻まれていたなあ。あの日のおにぎりは多様性と統一性の両立した存在論的にすぐれた作品だった。
芦ノ湖