苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

娘と、札幌・小樽を訪問

 先週土曜日から、昨日にかけて一週間、娘を連れて北海道に行ってきたので、ブログ読者のみなさまにはご無沙汰しました。

 今回は、JECA北栄キリスト教会での礼拝説教奉仕と午後の信徒神学講座のお話、北海道聖書学院での集中講義とチャペル奉仕、そして北海道聖書信仰者の集いでの講演だった。北栄キリスト教会での礼拝では、神の子どもとされた恵みについてお話し、信徒講座と聖書信仰者のつどいではそれぞれ「聖書信仰と世界観」の話をし、9回にわたる集中講義は「聖書から見た『教会と国家』」というテーマ、そして最後にチャペルでは「伝道者としての召し」について聖書からお話をした。数えてみたら合計13回の講義や説教をしたことになる。北海道にいる間は楽しくて緊張もしていたのだろう、そんなに疲れたと思わなかったが、昨夜帰宅したらどっと疲れが出た。

(北海道聖書学院HBI)


 せっかくの北海道旅行だから、昨年病気で中学の修学旅行に行けなかった娘を連れて行ったらというのは、妻の発案だった。娘にとっては、飛行機も初めて、北海道も初めて、こんなに長く父親と旅をするのも初めて、神学校というものを訪ねるのも初めて、生きたヒトデやクラゲを見るのも初めてという、初めてずくめの旅となった。娘は起立性調節障害という病身だが、午後になれば調子がよくなるので、月曜午後は小樽を訪ね、火曜午後は札幌を歩いた。
 札幌から電車で四十分の小樽は歴史と風情を感じさせる港町で、海岸線に平行して三本ほど大きな道路が走り、山から海に向かって緩やかな坂が何本がだらだらとくだる町並みに、ふるさとの神戸を髣髴とした。
 銀行街のゆるやかな坂を下る途中で、たまたま路地奥に見つけた「つくし」という海鮮ろばた焼き屋で腹ごしらえをした。筆者は新鮮なさんまの刺身定食、娘はいかとしゃけととびっ子の三色丼定食を食べた。秋刀魚の刺身は新鮮で甘くおいしかった。ふたりでなんと1300円! あまりの安さに、支払ったあと店を出てから不安になり、「間違いではありませんか?」と店に戻ったほどである。


 その後、ガラス工芸、オルゴールなどある店に立ち寄ってから、運河沿いを歩いた。運河沿いのレンガの壁に、歌謡曲「小樽のひとよ」の歌詞の銅版がはめこまれていたので、旅情のさせたことか人目もはばからず、「歩くジュークボックス」は大きな声で歌ってしまった。娘がおもしろがってビデオ撮影してくれた。

「逢いたい気持ちが ままならぬ
 北国の街は 冷たく 遠い
 粉雪舞い散る 小樽の駅に
 あーーーひとり残して来たけれど
 忘れはしない 愛する人よ」

 ざんねんながら、歌詞をまちがえました。
http://www.youtube.com/watch?v=8lehsv8bgqA&feature=related

 そのあと、大きな船が停泊する岸壁で娘は直径15センチはあろうかというヒトデと並みのクラゲを見つけた。そして、小樽ビール工場の見学。ドイツのヨハネス・ブラウンさんとか言うドイツのマイスターの設計なのだそうである。そして、「ほとり」という名の雰囲気たっぷりの路地奥の喫茶店で一服。
 小樽には日が落ちるまで長居して、美しい夜景を眺めながら歩いた。

(この写真は観光協会から)

 夕食は雰囲気はまったくないが、たくさん蟹がいる「小樽かに道場」という店で、娘も私もパイプ椅子に腰掛けて「たらば丼」を食べ、大きなホタテ焼きを娘が、車えび焼きを私が食べた。山盛りご飯に山盛りの蟹で、蟹の味噌汁が付いていた。高級メニューなのだが、この日はタラバ丼半額の日で全部で千円札二枚でおつりが来た。店には水槽がいくつもあって、大きなタラバガニやケガニが元気で動いていて、お店の親切なおじさんが蟹の話をいろいろと教えてくれた。脚が八本のタラバガニは蟹の仲間でなくて、ヤドカリの仲間であること、蟹の雌雄はおなかの蓋が丸いか三角かで見分けるのだということなど。


 翌日は札幌。小雨が降ったり止んだりする中を、お決まりのように北大キャンパスを散歩し、赤レンガの旧道庁、大通り公園、時計台を訪ねた。他はさして印象に残らなかったが、北大のキャンパスはもみじしていて美しかった。娘は落ち葉を拾って、押し花にしていた。

 また、水曜日には学院長の八尋先生が親切に大倉山のオリンピックの大ジャンプ台に連れて行ってくださった。あまりの急斜面に度肝を抜かれた。ジャンプ競技というのは危険を通り越して正気の沙汰ではないというか、超人のわざである。
 木曜日には夕刻に「北海道聖書信仰者の集い」で、[聖書信仰と世界観」の話をした。私にとっては求道の最初に増永俊雄牧師から聖書信仰と世界観の両方をいただいたのだということを改めて振り返って、その後、考えてきたこととして、<三位一体の神が造られた、多様で統一的な世界を、創造・堕落・恩寵・完成という四つの場面で捕らえるところに聖書的世界観がある>という話をした。
 その晩、下川友也先生が部屋を訪ねてくださって、四方山話をした。かたわらで娘は信州のおばあちゃんみたいに何度も何度もお茶を出していた。娘は下川先生は一見怖そうに見えるし、大きな声だけれど、本当はとっても柔和ですごい先生なんだと思ったとあとで感想を話していた。また、野口隆英先生が訪ねてくださって、ドラ焼きをくださった。翌日食べて衝撃を受けるほど、おいしかった。あんこがしっとりとしていて、皮はカステラのようで、並みのドラ焼きとはまるで別のお菓子のようだった。娘は、「ドラ焼きをおいしいと思ったことは、これが初めて」と言っていた。ごちそうさまでした。

 北栄キリスト教会での兄弟姉妹との交わり、特に夕食後の松元先生の牧師館での青年たちとの語らいは楽しかった。娘は久しぶりの若い青年たちとの交わりがうれしかったろう。聖書学院でも神学生たちとの交わりもとても楽しかった。ひたむきに神のことばに取り組んでいる少し年上の若者たちの姿に感銘を受けたのだろう、娘は、自分も将来、この学院で学べたらという希望をもったようである。神様が娘のからだの癒してくださって、そういう日が来たらどんなに嬉しいことだろう。