苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

宗教改革記念日 ツヴィングリ Zwingli


 今年は宗教改革記念礼拝に、列王記Ⅱ22-23章に記録されるヨシヤ王の宗教改革を学び、宗教改革者ツヴィングリについて紹介した。
 宗教改革といえば、ドイツのルターが1517年に始めたことがあまりにも有名ですが、神はルターと同世代にフルドライヒ・ツヴィングリという人物を、スイス・チューリヒに起こされました。その宗教改革は、「聖書のみ」「信仰のみ」であるという根本原理はルターと同じです。当時の教会は聖書から離れて、迷信化したもろもろの儀式を行ない、その儀式に参与することによって救われると教えていました。特に免罪符を買ったら、その献金がチャリーンと献金箱に落ちたとき、煉獄のたましいが天国に行くなどと教えていました。こんなことは聖書のどこにも書かれていません。
 ツヴィングリは、1506年グラールスの司祭となり、1513年から人文主義運動に参加し、聖書原典を研究し説教をすることを通して聖書を中心とした思想を確かなものとしていきました。人文主義運動というのは、古典原典に立ち返れという学問的運動です。当時のヨーロッパ世界では学問はラテン語が用いられておりました。聖書もラテン語訳聖書が公認聖書とされていました。そこで、ツヴィングリは聖書をギリシャ語本文に立ち返って、正確に読み取って、連続講解説教することを始めたのです。そうしたとき、ローマ教会の現状がいかに聖書の示す道からはなはだしく外れてしまったかに気づいて、ローマ教会を批判するようになりました。けれども、なお彼はその抜本的改革に立つほどの覚悟はなかったようです。

 ところが、1519年、転機が訪れます。チューリヒの司祭となっていたこの時、ペストにかかって死線をさまよう経験をしたのです。中世ヨーロッパには、大体十年毎に猛威を振るうペストによる死の恐怖がつねにつきまとっていました。あるときには、ヨーロッパ人口の三分の一が奪われました。このとき、ツヴィングリは次のような詩を書いています。

      ペストの詩 (病の始まりのとき)  
  助けたまえ、主なる神よ、助けたまえ、この苦しみから。
  死は間近に迫っております。
  私のそばにお留まりください、基督さま、あなたは死を克服されたのですから。
  (中略)
  けれども、あなたの命令で人生の最盛期に、死がやってくるのであれば、
  ただただそれに従います。あなたの望まれるようになさってください、
  委細構わずに。
  私はあなたの器であり、作るも壊すも自由になさってください。
  私の魂をこの世界から奪うのであれば、世界がこれ以上悪くならないように、
  他の人々の敬虔で明るい生活が汚されることがないようになさってください。

 ペストはまず治らない病気でした。奇跡的にそのペストが癒されたとき、ツヴィングリは神が自分を教会改革に召しておられることを確信し、立ち上がりました。ツヴィングリは勇気を出して、聖書に書かれていないローマ教会の迷信的なプログラムや偶像礼拝を徹底的に排除することを始めたのです。ツヴィングリによる改革は修道院解散、ミサの廃止とプロテスタント化、教会堂内の聖像・聖画の追放、さらに貧民救済・教育機関の設置など実際的なことにまで及び、チューリヒ市の政治的問題にも積極的に発言しました。ツヴィングリにとって、信仰生活と政治や日常生活は不可分のものであり、生活の全領域を神の主権の下に置こうとしたのです。
 ツヴィングリのなかで、政治と教会の区別は截然とはしていませんでした。カトリック勢力に立つ町々と、プロテスタント主義に立つ町々が戦争となりますと、ツヴィングリは自ら剣を取って軍隊の先頭に立って、乱戦のうちに戦死したのです。1531年10月11日でした。彼の手には剣が握られていました。

 ツヴィングリの宗教改革は、古代ユダ王国のヨシヤ王による改革(2列王記22-23章)を彷彿とさせるものがあります。偶像の徹底排除と社会改革への取り組みがその特徴でした。ですが、反面、ツヴィングリの戦死に象徴されるように、教会と政治の区別というものが明瞭ではなかったというのが、彼の改革の問題点であると一般に指摘されます。ツヴィングリは、志半ばにして、自ら剣を取って戦争に加わり、戦死してしまいました。そんなところまで、志半ばに戦地にたおれたヨシヤと重なることを感じるのです。
 彼の働きはブリンガーに引き継がれ、さらにジュネーブで改革をしていたカルヴァンたちの働きと合流していくことになります。このスイスの宗教改革運動は、改革派と呼ばれることになります。その理念は、「改革された教会は常に改革されなければならない (Ecclesia reformata semper reformanda.)」です。
 宗教改革とて人間のしたことですからもちろん欠けもあるのです。しかし、過去の先達を批判するのはたやすいことです。私たちとしては自分たちの教会のなかから、また日常生活のなかから偶像を排除し、生活の全領域で、神の栄光をあらわすという点、このスイスの宗教改革者に学びたいと思うものです。スイス宗教改革のスローガンは、「聖書のみ」「信仰のみ」に加えて「ただ神にのみ栄光を」「改革された教会は常に改革されなければならない」です。