苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

亡国の愛国心

 霊泉寺温泉で毎年ひらかれる信州夏期宣教講座に出席してきた。袴田康裕牧師「ウェストミンスター信仰告白における戦争と平和」、安藤肇牧師「日本基督教団の戦争責任」、登家勝也牧師「戦争にかかわる旧約聖書釈義の学び」、菅原正道牧師報告「平和(市民)運動とのかかわりの中で」という講演があり、討論の時間があった。「神学生時代に赤紙を受け取った絶滅危惧種」と自己紹介された安藤牧師のご講演には、特に感銘を受けた。その中で引用された植村正久の「三種の愛国心」という文章をメモしておきたい。書かれたのは日清戦争の勝利によって、日本中が愛国心に沸き立っていたときのことである。
 「国の古を慕い、その歴史の栄光を楽しみ、もしくは国家の屈辱を悲しむのみならず、よく自国の罪過を感覚し、その逃避せる責任を記憶し、その蹂躙せし人道を反省するは愛国心の至れるものにあらずや。」「旧約の預言者は実に国家の良心をもって自ら任じ、その倫理的の感覚を維持せんことを務めし人々なり。」「自ら国家の良心をもって任じ、国民の罪に泣くものはほとんどまれなり。甚だしきはこの種類の愛国心を抱くものを非難するに国賊の名をもってす。良心を痴鈍ならしむるの愛国心は亡国の心なり。これがために国を誤りしもの、古今その例少なからず。」(明治29年6月26日号「福音新報」)
 溺愛が子を破滅に陥れるように、自国の罪過を省みざる愛国心は国を滅ぼす。