苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

剣の権能について  ローマ書13章1-4節

 ローマ書13章1-5節、とくに4節から、神が「上に立つ権威(国家権力)」に託された「剣の権能」についてメモしてみます。

「 13:1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
13:2 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
13:3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。
13:4 それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。
13:5 ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。」

1.剣の権能とその目的
 神は「上に立つ権威」を、「(民に)益を与えるための神のしもべ」として立てられました。(4節)神は「上に立つ権威」に「剣」を託しておられます。したがって、その剣は民に益を与えるための手段です。その剣は「上に立つ権威」が「神のしもべ」として、「悪を行なう人」に怒りをもって報いを与えるためのものです。(4節)したがって、国家に託された「剣の権能」を否定することはローマ書13章の当該箇所の教えに反しています。

 なぜ神はこのような「剣の権能」を「上に立つ権威」に託されたのでしょう?それは、残念ながら私たち人間がひとりのこらず罪への傾きを持っている堕落後の世界は、「剣の権能」をもってしなければ北斗の拳の世界のように弱肉強食の無秩序の世界になってしまうからです。


2.警察権
 難しいのは、神が、本来、「上に立つ権威」に託された「剣の権能」の行使が許された範囲がどこまでなのか?ということです。その範囲内で、「剣」を行使するならば、それは正しいことであり、その範囲を逸脱して「剣」を行使するならば、それは罪です。
 たとえば、警察官がスピード違反をした人を合法的手段をもって摘発し、法にしたがって罰を与えるのは正しいことです。こうして交通の秩序は守られます。けれども、警察官がスピード違反をしていない人を、恣意的に摘発して違法に罰を与えることは職権乱用であり罪です。しかし、職権乱用をする警察官がいるからといって、警察すべてを否定するのは聖書的ではありません。
 ローマ書13章が、「民に益を与えるための神のしもべ」の範囲に警察権という「剣の権能」を認めていることは、明白です。


3.戦争・・・自衛と侵略
 普通、理解が分かれるのは、「上に立つ権威」に託された「剣の権能」の行使が許された範囲は、社会秩序を維持することを目的とした警察権を越えて、他国との戦争ということにまで認められるのか?もし、認められるとすれば、どういう種類の戦争なのか?ということでしょう。
 侵略戦争は「あなたの隣人のものを欲しがってはならない。」という十戒の第十番目に違反する罪ですから無論、不可です。
 では、他国の自国に対する侵略に対する自衛戦争はどうでしょうか。抽象的には、自国の社会秩序を維持して、民に益を与えることを目的とするので、これは許容される警察権の延長である、と考えることは可能でしょう。税関での取り締まり、国境警備をして麻薬の密輸を防止するといったことの正当性にはほとんど異論はないと思います。これは警察権に含まれると言って良いでしょう。
 しかし、「自衛」と称して実は侵略が行なわれてきたというのが実際の歴史です。過去の戦争を見れば、権力者とその民の貪欲のゆえに、非常に多くのばあい、他国への侵略も「自衛」を口実として行なわれてきました。日本が石油を求めてインドネシアに侵攻したことは自衛の名においてなされました。また大戦後、ソ連プラハの春を戦車で踏み潰したことも、米国がベトナム戦争を始めたことも、「集団的自衛」だという口実で行なわれました。宗主国が属国内に起きた反傀儡政権運動を軍事力によってつぶす行為を集団的自衛権という。これは欺瞞でしょう。


4.憲法9条の意義
 こうした歴史的反省に立つと、日本国憲法9条が、戦争放棄と戦力不保持をかかげて極端なまでに国際紛争解決の手段としての戦争を忌避しているのは有意義なことであると思います。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 しかし、憲法第9条第二項の冒頭に「前項の目的を達するため、」という文言、いわゆる芦田修正が制定時の衆議院において加えられて可決されました。その意図は、国際紛争の解決を目的とする武力の行使は放棄するけれども、侵略に対する最小限の自衛は許容されるという解釈の余地を残すことでした。国会の審議過程でこの修正が加えられた意図をGHQは理解していましたが、許容したのです。
 とりあえず、ここまで。