苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

聖書眼鏡で見る「教会と国家」

          2010年KGK夏季学校(MBC)での講義に加筆

<アウトライン>
序 愛国心の歴史的始まり

第一章 パウロに見る国家の権威と限界
1 パウロは国家の権威の意義を認め、ローマ市民権を活用して、ローマ宣教に行った。(使徒22:25−29、25:11,12)
2 国家の権威と限界(ローマ13:1−7)
(1)神が摂理によって国家の権威を立てている
(2)国家の務め:警察権による社会秩序維持と徴税による分配


第二章 政教癒着と神のさばき
1 ヤロブアム王の不安と国家神道(1列王記12:25−33)  
2 ウジヤ王の傲慢と祭祀権の侵害(2歴代26章)
3 帝王ネブカデネザルの野望と金の像(ダニエル3:1−7)
4 獣の背後でうごめく者(黙示録13章)
5 我が国の戦前・戦時中の宗教政策・・・戦時下のCS教案


第三章 キリスト者として国法を超えても死守すべきこと
1 ダニエル:真の神のみを礼拝する
       偶像礼拝の拒否(ダニエル3:12)
       真の神を礼拝し続ける(ダニエル6:1−10)
2 使徒ペテロ:伝道 (使徒4:19、使徒5:29)
3 取り成しの祈り(ダニエル9:5−9)


序 愛国心の歴史的始まり

 愛国心とは、国民国家が成立してはじめて要請されるものであるから、世界の歴史では出来上がってわずか200年ほどしか経っていない特異な歴史現象である。フランス革命以前、国土は国王個人の財産であって、民のものではなかったから、愛国心などあるわけがない。国境も固定しておらず、王の領土というものは自分が先祖から受け継いだものと、嫁の持参した領土と、戦争によって獲得した領土この三者をあわせたものだった。だから、王が代わったり、結婚したり、戦争したりするたびに、国境線は変動したので、その土地の住民が愛国心など持ちえるわけもないし、持つ必要もなかった。
 それに、あの時代、戦争は王と、王と契約によって結ばれた領主階級の人々の仕事だった。王と領主たちの領土的野心を満たすために、戦争がたびたび行われたが、領主階級以上の人々が戦争屋であったから、兵員はかぎられていたし、庶民は直接には戦争とは関係なかった。戦争のような血なまぐさい仕事は領主や王たちがすればよいことで、庶民は領主の荘園に属していて、田畑を耕して年貢を領主に納めていればよかったのである。
 ところが、フランス革命は国王の首をはね、領主階級も排斥した。そのとき、社会の構造が基本的に変わった。庶民はそれまで、それぞれ領主の荘園に属していたから、国家意識は持ち得なかったが、領主階級が消滅すると、中央政府国民主権のたてまえで、直接に結びつくことになった。以前は国王が何かを決めても、それぞれの領主がそれをどう受け止めるか次第だったから、国王が何を決めようと国全体が動き出すことは、それほどすみやかではなかった。しかし、領主階級が消滅して、中央政府と庶民が直結すると、ここに国民国家が成立したわけである。中央政府の動きが、国全体の動きと直結することになった。というわけで、近代国民国家全体主義国家は親和性が強いのである。煽動の技術に長けた野心的な政治家が出てくると、近代国民国家はかんたんに全体主義化する。
 革命の情熱に燃え上がって、王をギロチンにかけ、領主階級がいなくなると、中央政府が困ったのは、戦争屋がいなくなってしまったことだった。折から、フランス革命のような革命がおきれば自分の首も危ないことに気づいたヨーロッパ諸国の国王たちは、反革命軍を続々とフランスに送り込んできた。そこで、フランスでは庶民が兵隊にならねばならなくなった。ここに国民軍が成立する。国民軍とセットでスタートしたのは、国民教育である。軍隊が集団として機能するためには、軍事教練が必要だった。もっとも基本的なことは、隊列を組んで行進することだった。それまで庶民は、好き勝手に歩いていた。
 国民国家が成立して後の戦争は、規模が拡大し、被害も甚大なものとなる。領主階級が戦争をやっていた時代は兵員に限りがあったし、いわば仕事として戦争をしていたから、お互い適当なところで手を打った。いわばプロレスのようなものである。だが、国民国家となると国民をみな兵士として徴集できるのだから、いわば無数に兵は用意され、戦争は際限なく継続されるようになった。戦争で金儲けをする死の商人にとって以外、国民にとって戦争は商売ではなく、愛国という宗教的なものとなってしまった。近代になって「総力戦」が行われるようになったのは、国民国家であるからである。

 フランス国歌ラ・マルセイエーズの「祖国la Patrie、専制政治la tyrannie、市民よ武器を取れAux armes citoyens!、隊列を組めFormez vos bataillons、行進せよmarchons!」という歌詞を読むと、上述の歴史的背景がよくこめられていることに気づくだろう。

‘La Marseillaise’

Allons enfants de la Patrie,
Le jour de gloire est arrivé.
Contre nous de la tyrannie
L’étendard sanglant est levé,
L’étendard sanglant est levé.
Entendez vous, dans les campagnes,
Mugir ces farouches soldats.
Ils viennent jusque dans nos bras
Égorger vos fils, vos compagnes.
CHORUS:
Aux armes citoyens!
Formez vos bataillons,
Marchons, marchons!
Qu’un sang impur abreuve nos sillons.
進め 祖国の子らよ
栄光の日は来た!
我らに向かって 暴君の
血塗られた旗が 掲げられた
血塗られた旗が 掲げられた
聞こえるか? 戦場の
獰猛な敵兵の咆哮が
奴らは君らの元に来る
君らの子と妻の 喉を掻ききるために!
市民らよ 武器を取れ
隊列を組め
進め! 進め!
敵の汚れた血
我らの畑の畝を満たすまで!

 この東海の列島には、明治以降、日本国という意識が生じ、国民国家が成立する。幕藩体制下では、「日本国民」という意識はなかった。あったのは長州人、薩摩人、摂津人といった意識のみ。当然、郷土への自然な愛着はあっても、「愛国心」という観念などなかったし、無用だった。庶民は田畑を耕して年貢を納めたが、戦争をする必要はなかった。
 しかし、倒幕、廃藩置県がなされ、国民は中央政府と直結され、国民軍が編成される。国定教科書で国民教育が進められる。小学校で軍事教練の基本として、オイチニ・オイチニと集団行進の軍事教練がされるようになった。このとき日本人は右足と左手、左足と右手という組み合わせで前に出して歩くのが正しいのだと叩き込まれるようになったらしく、それ以前の江戸時代の絵を見ると、そのような歩き方はしていなかったようである。そして、国民軍編成のために国民教育が始まったのであるから、当然、国民教育の精神的目標は愛国心の醸成だった。こういうわけで、歴史的に言って「祖国」「愛国心」は、国民軍と切っても切れない関係にある。日本では国民国家のスタートからまだ150年もたってはいない。
 今、国民国家の枠が壊れつつあるというのが世界的傾向である。それは企業が一定の国に属さない、多国籍化が進んでいることによる。ベルリンの壁崩壊後、民族主義の勃興が激しくなったのも事実なのだが、多国籍企業の出現によって今後世界は、国境線のあいまいな帝国の時代に向かおうとしているという観測もある。だが、だからこそ、反動として国家主義の動きも強くなっている。こんな時代のなかで、聖書に国家とはなにかを訊ねてみよう。

参考:岡田英弘『歴史とは何か』(文春新書)pp158-217


第一章 パウロにみる国家の権威と限界

1 パウロは国家の権威の意義を認め、ローマ市民権を活用して、ローマ宣教に行った。使徒22:25−29、25:11,12)

「すると、パウロはこう言った。『私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。あなたもよくご存じのとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。』
そのとき、フェストは陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。『あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。』」(使徒25:10-12)

 使徒パウロは、裁判にかけられたとき、あえてその判決を不当としてローマ皇帝に上訴する決断をした。その決断にしたがって、パウロは囚人として船でローマへと護送されることになる。当時、ローマ帝国は属州の住民たちにも一定の義務(納税)を果たすならば、ローマ市民権を与えていた。パウロの家は資産家の家であったらしく、彼は生まれながらのローマ市民だった。パウロは、その市民権のひとつとしての上訴権を行使したのである。
 パウロの意図はあきらかである。彼は主イエスが彼に与えた異邦人への使徒としての任務を果たすために、どうしてもローマに行き、ローマ皇帝にもキリストの福音をあかししたかったのである。そのために、彼はあえて皇帝に上訴する道を選んだのである。それは主イエスのご計画だった。かつて主イエス使徒たちに次のように言われた。

「だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。」(マルコ13:9,10)


2.国家の権威と限界(ローマ13:1−7)

 このパウロの行動は、ローマ帝国政府の立てたローマ法というものに一定の権威を承認していることを意味している。パウロは、ローマ人への手紙13章において、国家の権威というものの意義について肯定的側面を述べている。
 

「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。」(ローマ13:1-7)

 パウロによれば、まことの神を知らないローマ帝国政府であっても、その権威は神によるのだということになる。ただし、注意すべきは、これはいわゆる王権神授説を支持しているのではないということである。昨日書いたように、国家権力は毒を制するための毒にすぎない。やくざのドスを取り締まるための警察官の拳銃である。
 国家の務めについて、パウロは2点のみ挙げている。第一は今書いた剣の権能。警察権である。これをもって社会の秩序を維持するために、国家権力は立てられている。第二は、徴税権である。これをもって富を再分配する務めを国家は負っている。つまり、国家の業務は世俗的な領域にかぎられているのである。
 現代の国家はずいぶん肥大化しているが、その本質はこのふたつの世俗的業務を果たすための神のしもべである。
 

第二章 政教癒着と神のさばき


1 ヤロブアム王の不安と国家神道
  神は、悪を抑制するために、俗権(国家)を摂理によって立てた。俗権の任務は、警察権による悪者の抑制と、徴税による富の分配という世俗的業務である。しかし、えてして俗権は手を出してはいけない「聖なる事柄」に手出しをしてきたこと、そして、その結果、神の裁きがその俗権にくだったことを聖書は教えている。
 ソロモン王の死後、イスラエル王国は南北に分裂した。北イスラエル王国の第一代の王はヤロブアム、南ユダ王国の王はレハブアムだった。ヤロブアムには不安があった。祭りの季節になると、北イスラエルの民たちは真の神を礼拝するために、神殿のある南ユダ王国エルサレムへと参拝に出かけてしまう。これでは、早晩、民は自分に背くことになるだろう、と。そこでヤロブアムは自らの権力の座を維持するために、モーセの時代以来の「金の子牛神話」に基づいて、「国家神道」を作り出してしまった。祭司たちを任命し、神社を作り、建国記念の日を8月15日と定めたのである。これは神の前に罪となった。
 この偶像崇拝は、北イスラエル王国にとって持病のようなものとなる。北イスラエルでは、王朝は次々に交代し、早々に北イスラエル王国はアッシリヤ帝国に滅ぼされてしまう。

 「ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。ヤロブアムは心に思った。『今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。この民が、エルサレムにある【主】の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。』
そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。『もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。』
 それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。それから、彼は高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。そのうえ、ヤロブアムはユダでの祭りにならって、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でいけにえをささげた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえをささげた。また、彼が任命した高き所の祭司たちをベテルに常住させた。彼は自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、イスラエル人のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえをささげ、香をたいた。」(1列王記12:25-33)

2 ウジヤ王の傲慢と祭祀権の侵害

 南ユダ王国第十代の王ウジヤは神殿に列を成す民を眺めては不満だった。自分は軍事政策においても、農業政策においても、やることなすこと成功を収め、そのおかげで民の生活は目に見えて向上したのに、民たちは神殿の祭司たちのところに出かけていく。そうして祭司に、神に感謝をささげている。ウジヤはつぶやいた。「この王国に今日の繁栄をもたらしたのは、朕であるのに、なぜ民は朕をほめたたえず、祭司どものところに出かけては感謝しているのか。」・・・・こうして世俗的領域を治める務めを与えられたウジヤ王は手出しをしてはならない聖なる領域に手を出して、神から恐るべき裁きを受けることになる。 

「彼は神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた。彼が【主】を求めていた間、神は彼を栄えさせた。
彼は出陣してペリシテ人と戦ったとき、ガテの城壁、ヤブネの城壁、アシュドデの城壁を打ちこわし、アシュドデの中の、ペリシテ人たちの間に、町々を築いた。神は彼を助けて、ペリシテ人、グル・バアルに住むアラビヤ人、メウニム人に立ち向かわせた。アモン人はウジヤのもとにみつぎものを納めた。こうして、彼の名はエジプトの入口にまで届いた。その勢力が並みはずれて強くなったからである。
ウジヤはエルサレムの隅の門、谷の門および曲がりかどの上にやぐらを建て、これを強固にし、荒野にやぐらを建て、多くの水ためを掘った。彼は低地にも平野にも多くの家畜を持っていたからである。山地や果樹園には農夫やぶどう作りがいた。彼が農業を好んだからである。さらに、ウジヤは戦闘部隊をかかえていたが、彼らは、書記エイエルとつかさマアセヤによって登録された人数にしたがって各隊に分かれ、王の隊長のひとり、ハナヌヤの指揮下にいくさに出る者たちであった。・・・(中略)・・・こうして、彼の名は遠くにまで鳴り響いた。彼がすばらしいしかたで、助けを得て強くなったからである。
  しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、【主】に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香をたこうとして【主】の神殿に入った。すると彼のあとから、祭司アザルヤが、【主】に仕える八十人の有力な祭司たちとともに入って来た。彼らはウジヤ王の前に立ちふさがって、彼に言った。『ウジヤよ。【主】に香をたくのはあなたのすることではありません。香をたくのは、聖別された祭司たち、アロンの子らのすることです。聖所から出てください。あなたは不信の罪を犯したのです。あなたには神である【主】の誉れは与えられません。』
ウジヤは激しく怒って、手に香炉を取って香をたこうとした。彼が祭司たちに対して激しい怒りをいだいたとき、その祭司たちの前、【主】の神殿の中、香の壇のかたわらで、突然、彼の額にツァラアトが現れた。祭司のかしらアザルヤと祭司たち全員が彼のほうを見ると、なんと、彼の額はツァラアトに冒されていた。そこで彼らは急いで彼をそこから連れ出した。彼も自分から急いで出て行った。【主】が彼を打たれたからである。ウジヤ王は死ぬ日までツァラアトに冒され、ツァラアトに冒された者として隔ての家に住んだ。彼は【主】の宮から絶たれたからである。その子ヨタムが王宮を管理し、この国の人々をさばいていた。」(2歴代26:5-21)

 俗権が真の神礼拝に容喙するとき、自らに滅びを招く。国家を守るためにも、私たちは国家が分を越えることがないように、警告をしなければならない。


3 帝王ネブカデネザルの野望と金の像

政教癒着についてもう一つの事例を挙げておく。バビロンの王ネブカデネザル二世(604-562BC)である。 

 「ネブカデネザル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。そして、ネブカデネザル王は人を遣わして、太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官を召集し、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に出席させることにした。そこで太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官は、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に集まり、ネブカデネザルが立てた像の前に立った。伝令官は大声で叫んだ。『諸民、諸国、諸国語の者たちよ。あなたがたにこう命じられている。あなたがたが角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝め。ひれ伏して拝まない者はだれでも、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。』
それで、民がみな、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、および、もろもろの楽器の音を聞いたとき、諸民、諸国、諸国語の者たちは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝んだ。」(ダニエル3:1-7)

 ヤロブアムは政権安定のために国家神道を作り、ウジヤは傲慢のゆえに聖なる祭司の領域を侵した。そして、バビロンの王ダニエルは、帝国主義的侵略によって己が傘下に収めた諸国民・諸民族を背かせぬために、あるいは、自分に背こうとする者をすみやかに摘発するために、偶像崇拝を利用した。わが国が、アジア諸国に侵略したときに、多くの神社を建立して、そこに現地の人々を強制参拝させたのも同じ手法である。朝鮮半島における神社設置数137。その数は、他の植民地に類を見ない多さだった。台湾・中国・満州を合わせても総計165にすぎない。(1942年・昭和17年)。
 古代から近現代にいたるまで、権力者たちの宗教利用の手法はパターンがほぼ決まっている。なぜか?背後で彼らを操る黒幕が同じだからではなかろうか?実際、黙示録はそう教えている。


4 獣の背後でうごめく者

「13:1 また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。13:2 私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。
13:3 その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従い、13:4 そして、竜を拝んだ。獣に権威を与えたのが竜だからである。また彼らは獣をも拝んで、『だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう』と言った。
13:5 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。13:6 そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。 13:7 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。 13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。13:9 耳のある者は聞きなさい。13:10 とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。
  13:11 また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。 13:12 この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。」(黙示録13:1-12)

 「海からの獣」とはローマ皇帝を指している。皇帝が、サタンに誘惑されて「あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する」という野望を抱くと、彼はサタンに魂を明け渡し、サタンは彼に見返りとして自分の力と権威とを与える。この権力者は傲慢になり、民にサタンと自分を礼拝させ、神の民(天に住む者たち)を迫害する。このとき、第二の獣が登場する。第二の獣は小羊キリストに似たなりをしているが、その口から出ることばは竜(サタン)の教えである。第二の獣は、第一の獣(皇帝)を拝ませる偽預言者(御用宗教団体)である。
 これが国家権力が暴走するときに、その背後でうごめく霊的世界の真相である。ヤロブアムが政権の安定を願って、国家神道をつくった時、ウジヤ王が傲慢になって祭司職を侵したとき、ネブカデネザルがドラの平野に彼自身を象徴する金の柱を諸国民に拝ませたとき、ローマ皇帝が皇帝礼拝を帝国民に求めたとき、フランス革命政府が理性の女神像を教会に持ち込んだとき、近代天皇制において天皇が神格化され、アジア諸国で神社参拝を強制したとき、同じ竜(サタン)が彼らの背後にうごめいていた。
 偽預言者(第二の獣)は、見かけは小羊キリストだが、語ることばはサタンのことばである。非国教徒を弾圧した英国国教会ナチス・ドイツにおけるドイツ的キリスト者、明治以降の日本でいえば、国家神道の宣伝機関としての文部省とその手先と化した教会が、この偽預言者の役割を担った。黙示録13章の観点からいえば、およそ国家主義の宣伝機関となった教会はすべて、偽預言者である。それはいわゆるキリスト教国、非キリスト教国を問わない。


5 我が国の戦前・戦時中の宗教政策・・・戦時下のCS教案

ペリーの黒船で門戸をこじあけられた列島住民たちは周囲を見回して驚いた。かつてわが国に文明をもたらした大国、唐・天竺も帝国主義欧米列強に蚕食されて見る影もなく、他のアジア諸国はいずれも植民地化されていたからである。明治維新政府の伊藤博文は、幕藩体制でバラバラの日本を、帝国主義列強に対峙できる国家とするために、国家神道で「天皇を中心とする神の国」としてまとめることを構想した。国家神道は、記紀神話に基づき、江戸時代の平田篤胤神道を利用して仕立て上げられた俄仕立ての人造宗教である。明治新政府の動きは、ヤロブアム王の宗教政策によく似ている。
 やがて日清戦争日露戦争に奇跡的勝利を収めて、日本人とくに軍部はのぼせ上がってしまう。わが国は天皇を中心とする神国であるから、かかる勝利を収めたのである、と。大和魂で戦えば、いかなる大国を敵に回そうと勝利は必定であるという狂気が日本国民を覆って行った。そういう高揚した気分の中で、大陸に進出すべし、大東亜を暴虐な欧米列強から解放すべし、そして日本にはアジアの遅れた諸国・諸民族を指導する使命がある、ということになっていく。
 やがて1941年12月8日真珠湾攻撃で、日米開戦。その時代、国民の精神は国家神道一色に染め上げられてしまう。戦争遂行の大宣伝機関は朝日、毎日など大新聞だった。いったん戦争が始まってしまえば、反戦厭戦の記事など載せれば警察にひっぱられるという以前に、発行部数が落ち込んで倒産してしまう。今日のワールドカップの時と同じように、国民はそういうものなのだ。背に腹は代えられないと判断した大新聞は、自ら「敵米英ヲ撃滅セヨ」式の大本営発表機関つまり偽預言者と化していった。
 開戦当初は破竹の勢いで、日本軍は仏印・英領マレー半島・蘭領インドネシアを「解放」したが、それぞれの地域には神社を建立し、住民に天皇を崇めることを強いた。ネブカデネザルの金の像と同じ罪である。
 しかし、それ以上に残念なことは、そういう風潮に教会もまた同調していったという事実である。戦争のために国家総動員がかけられ、諸宗教も国家の戦争遂行目的のために奉仕すべしということで、1940年4月1日宗教団体法が施行された。国家権力が神礼拝を侵害するというレハベアムの罪である。こういう状況下で、教会は何を教えていたのか?下に掲げるのは当時の教会学校教案誌の抜粋である。

「 紀元節(有難いお国)
[金言]義は国を高くし罪は民を辱しむ。(箴言十四・三四)
[目的」1.紀元節を目前に控へ、祝ひの意味を判らせる。
2.正義の上に立って居る祖国を知らしめて童心にも、日本の子供としての自重と、神の御護りによってこそ、強くて栄えることの出来ることを知らしめる。
[指針」皇紀二千六百二年の紀元節を迎へ、今日、展開されて居る大東亜戦争の使命を思ふ時、光輝ある世界の指導者としての日本の前途は、武器をもって戦ふより、遥に至難な業であることを痛感するものであるが、手を鋤につけた以上、万難を突破して完遂せねばならぬ唯一の道でもある。
 翻って子供を見る時、小さい双肩に、重い地球が負はされて居る様にさへ感ずる。今こそ、揺るぎない盤石の上にその土台を据えねばならない時で、吾等に負はされて居る尊い神の使命である。祈って力を与へられたい。
「教授上の注意]大和の橿原神宮の御写真か絵及びその時代の風俗を表はす絵、金鵄勲章の絵か写真などを用意して見せてやり度い。時間があれば勲章を作らせてもよい。(後略)」
 「皇紀二千六百二年(西暦一九四二年、昭和十七年)二月号」の『教師の友』(日本基督教団日曜学校局)


 当時のキリスト教会は、二本の角をもつ小羊のようななりをしているが、その口から出ることばは竜のことばだった。国家(海からの獣)の暴走、教会の偽預言者化(地からの獣)。こうした出来事の背景には、悪魔(竜)の跳梁があったことを黙示録13章は啓示している。


第3章 キリスト者として国法をも超えて死守すべきこと

国家には二つの顔がある。ひとつは神が立てた権威として世俗領域を治めるというものである。その意味では、我々はキリスト者として国家を尊重する義務がある。国家のもうひとつの顔とは悪魔の道具と化して、自らを神格化して全体主義に陥って神の民弾圧するというものである。国家が悪魔の道具と化し、真の神への信仰に対する法的な制限が加えられるという事態にいたったとしても、なお我々が神の民として実行しなければならないことを、聖書の人物をあげて簡潔に確認しておく。3点である。


1 ダニエル:真の神のみを礼拝する

a.偶像礼拝はあくまで拒否する。(ダニエル3:10−12)

「王よ。あなたは、『角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞く者は、すべてひれ伏して金の像を拝め。ひれ伏して拝まない者はだれでも、火の燃える炉の中へ投げ込め』と命令されました。ここに、あなたが任命してバビロン州の事務をつかさどらせたユダヤ人シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴがおります。王よ。この者たちはあなたを無視して、あなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝みもいたしません。」

b.真の神を礼拝し続ける。(ダニエル6:6−10)

「それで、この大臣と太守たちは申し合わせて王のもとに来てこう言った。『ダリヨス王。永遠に生きられますように。国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施してくださることに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。王よ。今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のようにしてください。』
  そこで、ダリヨス王はその禁令の文書に署名した。ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。──彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。──彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」


2 使徒ペテロ:伝道し続ける
  国法で禁じられても、伝道は続けなければならない。

「そこで彼らを呼んで、『いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない』と命じた。ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。『神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。』」(使徒4:19−21)

「彼らが使徒たちを連れて来て議会の中に立たせると、大祭司は使徒たちを問いただして、『あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。』ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。『人に従うより、神に従うべきです。 私たちの父祖たちの神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。』」(使徒5:27−32)


       
3 取り成しの祈り
 先祖の罪に対する連帯的責任の意識と祈り

「私たちは罪を犯し、不義をなし、悪を行い、あなたにそむき、あなたの命令と定めとを離れました。私たちはまた、あなたのしもべである預言者たちが御名によって、私たちの王たち、首長たち、先祖たち、および一般の人すべてに語ったことばに、聞き従いませんでした。主よ。正義はあなたのものですが、不面目は私たちのもので、今日あるとおり、ユダの人々、エルサレムの住民のもの、また、あなたが追い散らされたあらゆる国々で、近く、あるいは遠くにいるすべてのイスラエル人のものです。これは、彼らがあなたに逆らった不信の罪のためです。【主】よ。不面目は、あなたに罪を犯した私たちと私たちの王たち、首長たち、および先祖たちのものです。あわれみと赦しとは、私たちの神、主のものです。これは私たちが神にそむいたからです。」(ダニエル9:5−9)