このところネヘミヤ記を聴いています。ネヘミヤと民が、妨害を受けながらも、神からいただいた使命である神殿再建のために奮闘する記事です。今日はネヘミヤ記10章でしたが、七年ごとの安息の年を実施することと、初物を神に聖なるものとしてささげることと、宮に仕えるレビ族に十分の一を与えレビ族はその十分の一を神にささげることが記されています。いずれも、聖別という思想と実践です。
逆に言えば、この聖別を怠ったことが、滅亡を招いたということです。安息の年そしてヨベルの年を怠った結果、イスラエルのうちにははなはだしい貧富の格差が生じて不公正な社会となりました。当然、畑地もやせ衰えてしまったことでしょう。また、十分の一の聖別を怠ったために、レビ人たちは生活ができなくなって宮は放置され荒廃してしまいました。
神の所有を神のものとして聖別して生きるところに祝福があることを確認しました。
クリスマスイブ礼拝のご案内
本日12月24日、午後7時から7時45分、苫小牧福音教会会堂でクリスマス・イブ礼拝をささげます。主題は「王を迎えよ」です。今年は、会食の時間はありませんが、暖かいプレゼントを用意しています。
また、午後7時からは、YOUTUBEでイブの特別プログラムの配信をします。「苫小牧福音教会2020年イブ礼拝」で検索してください。おうちで視聴することができます。
イブのプログラムとカレンダー
イブのプログラムが出来上がりました。今年のテーマは「王を迎えよ」です。
そして、来年の教会カレンダーもできました。メンバーの集合写真をカレンダーにするのが、苫小牧福音教会の習慣なんですが、ことしは礼拝が二部に分かれているので写真は二枚です。でも施設に入っている兄弟姉妹や医療の最前線にいる方たちが写真に入れないのが残念です。カラーコピー機で作ります。
PC熱暴走
格安で手に入れたSDD化レッツノートCF-SX3が、ZOOMをすると熱暴走します。CPUのグリースを塗り直せばいいんでしょうが、「分解工房」を見たらややこしい分解作業が必要。またごみの山が一つできるかなあと思うと勇気が出ず、以前別のPCのために買ったけれど、PCの形状から使えないでいた温度を検知して自動でON/OFFする外付けファンをくっつけたら、とりあえず快調に動き出しました。
<追記>
設定で、CPUのパフォーマンスを1パーセント下げるだけで、温度がガクンと下がるというので、これもやってみました。これは簡単です。もしかすると、これだけでOKかもしれません。
https://blog.hycko.net/5493.php
プリンタ目詰まり解消法
年賀状を刷ろうとしたら、インクジェットプリンターの目詰まりで困っている人がいると思うので情報提供。
先週土曜日夕方、さて週報を印刷しようとしたら、ひどい目詰まりでした。今回の目詰まりは頑固で、純正インクを入れてもだめだったんですが、今しがた解消しました。目詰まり解消には、YOUTUBEでいろいろやり方が出ていますが、下のクリーニング液と、下の動画のやり方が有効でした。少々丁寧なやり方ですが、1時間もかからずにできます。
クリーニング液
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B06WRWXVKS/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o01_s00?ie=UTF8&psc=1
動画
一人ひとり数えて
1**,ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。**
2**,「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。**
3**,あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神がともにいてくださるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。**
4**,あとに残る者たちはみな、その者を支援するようにせよ。その者がどこに寄留しているにしても、その場所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んで献げるものに加え、銀、金、財貨、家畜をもってその者を支援せよ。』」**
エズラ1章1-4節
エズラ記1,2章を聴きました。異国であるペルシャの王キュロスがルサレム神殿再建を神から命じられるという世界史上の不思議な出来事。不思議といえば不思議だが、神が世界の主でいらっしゃることを思えば、不思議でもない、か。
2章に記された再建のためエルサレムに帰っていった人々の名簿も、じっくりと聞いていると感じるところがある。ここでは概数でなく、一桁まできちんと数えられていることに感慨を覚える。記者の几帳面さということもだが、神の都に帰ってくる一人一人の名を数えてくださる慈しみ深いまなざし、ということ。