苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

日本国憲法に制定過程についての本の紹介

 2013年夏に信州夏期宣教講座で日本国憲法について学ぼうということになりました。前年4月に自民党による憲法改正草案が発表されて、話題となっていたからです。それで、門外漢である私に担当するようにと言われました。かなり躊躇しましたが、この際、ちゃんと勉強するチャンスだと思って引き受けました。そのとき、日本国憲法の制定プロセスについて調べました。今回は、その制定過程についての本の紹介です。

1.日本国憲法制定過程の原資料を閲覧できるのは、国立国会図書館日本国憲法の誕生」です。だれでも閲覧できるものとして、これに勝るものはなさそうです。
 https://www.ndl.go.jp/constitution/

2.押しつけ憲法論と日本人由来だとする議論
 私が初めてGHQが9日間で準備した憲法草案を日本政府が翻訳したものが日本国憲法の骨子を成しているという趣旨の本を読んだのはもう30年以上前、児島 襄『史録 日本国憲法』でした。たいへん詳細に書かれていますが、史料は押しつけ憲法論の根拠となることにのみ偏っています。よくいう「新憲法はGHQの素人たちが9日間で作ったお粗末なものの翻訳だ」という主張だったように思います。もうずいぶん前に読んだので不正確。
 正反対の強力な実証的主張をする本が小西豊治『憲法「押しつけ」論の幻』です。こちらは、GHQ草案がつくられる過程に、明治の自由民権論(特に植木枝盛)研究者鈴木安蔵による憲法研究会憲法草案が採用されて、深い影響を及ぼした事実を史料に基づいて実証しているものです。とはいえ、GHQが主体となって草案を作成したことには変わりないわけでありますが。
 両者バランスが取れているのが、私の読んだ限りにすぎませんが、鈴木 昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』だったかな。標題では9日間にしぼった児島ふうの内容かと思われそうですが、実際には、米国が日米開戦後半年後には日本占領統治の準備を始めていた用意周到さにまで視野を広くもって、書かれています。
 古関 彰一 『日本国憲法の誕生』『憲法九条はなぜ制定されたか』はあまり印象に残っていません。とくに9条は首相幣原喜重郎の発案については、否定という姿勢だったような気がします(あいまい)。たしか、当時、世界政府が出来たら、もう各国に軍隊がなくなるという見通しがあっての9条だったとか書いていたような気がします。この点は興味深い点でした。うー、はっきり覚えていない。はっきり知りたい人は自分で読んでくださいね。
 
3.『植木枝盛選集』岩波文庫
 自由民権運動の思想家、土佐の植木枝盛の思想が、鈴木安蔵を介して、GHQの日本国憲法草案に流れ込んだことは歴史の事実です。この植木枝盛と言う人は、戦後の現代日本からタイムマシンで明治に行ったのではないかと思われるような人です。彼の文章を読んで、ほんとにびっくりしました。彼は天賦人権論に立って、基本的人権を主張し、国家主権でなく人民主権立憲君主制を主張し、普通選挙による議会設立を主張し、抵抗権と革命権を主張し、家父長家族制度の打破、男女同権を訴えたすごい人です。さらに、戦争を防止する国際機関を設けるべきだと明治5年には主張しているのです。
 もちろん、植木枝盛は現代人がタイムマシンで明治に行ったわけではなく、ルソーやロックなどをしっかり読んだわけです。

4.憲法9条の発案
 憲法9条の発案者が日本の首相、幣原喜重郎であることは、史料的に事実です。その事実をどうしても認めたくなくて、あーだこーだいう研究者も多いのですが。彼は戦前パリ不戦条約起草にもかかわった人物で、その後、日本が軍国化していく中で立場を失って歳も取っていきました。しかし、敗戦を迎えた時、昭和天皇が、その時局にあたってGHQに対応できる人物として、茅ヶ崎か鎌倉だったっけかに隠棲していた幣原を呼び出して、彼を首相に据えたのでした。
 鈴木安蔵憲法研究会による改憲草案には、基本的人権の尊重・国民主権・象徴天皇で空白になっていたのが軍隊の問題でした。当時、日本の軍国主義にえらい迷惑を被ったオーストラリア、ニュージーランドソ連天皇制廃止を主張していました。そんな中、天皇制を存続させるために、天皇は完全な平和主義者だということをあかしするために、幣原は戦争放棄・軍備放棄条項を憲法に入れることをマッカーサーに対して伝えたのでした。これは日本側、米国側双方の史料で一致しています。このあたりの経緯を書いてあるのは、幣原喜重郎『外交五十年』平野三郎『平和憲法秘話』『平和憲法の水源ー昭和天皇の決断ー』『マッカーサー大戦回顧録』です。
 幣原がそんなことをいうはずがないと、かたくなにこれを否定する学者たちがいますが、無理でしょうね。
 そのとき幣原が意図したことは、<単に天皇制存続のためではなく、まもなく東西冷戦・朝鮮戦争が始まろうとする状況を見越して、日本の青年たちを米国の手先として戦地に狩り出されないために、戦争放棄条項を憲法に入れるように発案して、マッカーサーに一杯食わせたのではないか、という堤堯『昭和の三傑』における主張は卓見です。堤さんは学者ではありませんが、どの学者よりも説得力ある見解だと思います。

 

以上の勉強のまとめが、こちらです。
https://1ab4c85d-7ef5-40e3-b99d-780b70ac09e5.filesusr.com/ugd/2a2fcb_9c0dfc9442904542a7d9605e4f2a0bbf.pdf
でも、実は、この勉強の結果は、信州夏期宣教講座では発表しなかったんです。私は牧師なので、せっかくなら、と思って、申命記から立憲主義の話をしました。それは、こちらです。
https://1ab4c85d-7ef5-40e3-b99d-780b70ac09e5.filesusr.com/ugd/2a2fcb_23018a7286b54a988165071694faa151.pdf

角田房子『墓標なき八万の死者』中公文庫

 戦時中、国策によって長野県南佐久郡からはたくさんの若者たちが満蒙開拓義勇軍として派遣され、満州で農業をさせました。彼らは関東軍の兵隊さんたちが守ってくれると信じていました。ところが、戦局が悪化しソ連軍が侵攻してくるという情報を得ると、政府・軍部は国体を守るため、虎の子の関東軍をひそかに撤退させ、農民たちを棄てたのです。その人々の墓標が八万、かの地に今もあるということです。
 私は小海にいたとき、ギリギリの状況でソ連軍からのがれて来た人たちと知り合いになって、話を聞かせていただいたことがあります。また、ソ連に売り渡されてシベリアに抑留された兵士であった、隣の南相木村のおじいさんにもお話をうかがったことがあります。また、敗色が濃くなっていたにもかかわらず、政府が満蒙開拓義勇軍に中学生を出せと命じてきたことに抵抗した川上村の校長先生がいたので、自分たちは命拾いしたという話もうかがいました。
 軍隊は国体を守るための組織であって、国民を守るための組織ではないとは、あの来栖元幕僚長も明言していることです。

 

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岡田英弘『世界史の誕生』、岡田明『日本史教科書の中のファンタジー』

岡田英弘世界史の誕生』(ちくま文庫
西洋史東洋史の二本立ての世界史解釈をくつがえし、東西を結び東西の歴史形成に決定的な影響を与えてきたものはユーラシア大陸を東西に自由に行き来する遊牧民であったということ。面白いです。同著者の『日本史の誕生』も。

著者は親子ではないと思いますが・・・
岡田明『日本史教科書の中のファンタジー』(いのちのことば社
岡田さんが提唱される新しい時代区分には目が開かれました。特に明治以降。私たちは明治、大正、昭和、平成、そして令和という時代区分で洗脳されていますが、岡田さんに言わせれば、そうではない。徳川時代の後は、1868~1945年までが「大日本帝国時代」、そして1945以降は「日本国時代」というのです。たしかに、そうですよね。絶版が残念。

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小畑進『キリスト教慶弔学事典(婚葬)』

 

 

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小畑進『キリスト教慶弔学事典(婚葬)』、背が赤でなく緑の「同名の書(冠祭)」があります。いのちのことば社。単なるハウツー本でなく、死、結婚、年中行事、人生の通過儀礼のひとつひとつについて、自在に古今東西の哲学・宗教・文学思想の深みから説き起こして、聖書的な冠婚葬祭の具体的な手続きまでも親切に教えるというすごい本です。小畑進先生なればこそ書くことのできた本です。じっくり通読して後も、折りあるごとに開いて、なるほどと教えられ、また物を書く材料を提供してきてくれました。また、各方面の主要著書の案内ともなりました。その深さ、実用性からすれば、1万円でも安い。アマゾンの中古でわずか5000円で出ているのを今見つけました。

かつて、基督神学校の学生たちは、ずっと現場の牧師兼神学教師でありつつ、その博覧強記と鋭さと実存的思索の深さにおいて他の追随を許さない小畑先生を、「無冠の帝王」と呼んでいました。それは神学生たちの軽薄な評価でなく、誰もが認めるところでした。先生は異常な知の人でした。

私が現場に出て信徒宅に間借りしていたころ、ピンクの短パンに黄色いシャツに紅白帽子をかぶった変なおじさんが、訪ねてきました。世田谷から練馬の端っこまでマラソンして来られた小畑先生でした。「みずくさせんせーっ!」と励ましてくださいました。相当な変人でした。しかし、信州に開拓伝道に出てからも、折々、絵手紙をくださって、励ましてくださいました。ありがたい牧会者でいらっしゃいました。

法治国家の破壊

(歴史に残る重要文書だと思うので)

 

検察庁法改正に反対する松尾邦弘・元検事総長(77)ら検察OBが15日、法務省に提出した意見書の全文

 

東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書

 

 1 東京高検検事長黒川弘務氏は、本年2月8日に定年の63歳に達し退官の予定であったが、直前の1月31日、その定年を8月7日まで半年間延長する閣議決定が行われ、同氏は定年を過ぎて今なお現職に止(とど)まっている。

 検察庁法によれば、定年は検事総長が65歳、その他の検察官は63歳とされており(同法22条)、定年延長を可能とする規定はない。従って検察官の定年を延長するためには検察庁法を改正するしかない。しかるに内閣は同法改正の手続きを経ずに閣議決定のみで黒川氏の定年延長を決定した。これは内閣が現検事総長稲田伸夫氏の後任として黒川氏を予定しており、そのために稲田氏を遅くとも総長の通例の在職期間である2年が終了する8月初旬までに勇退させてその後任に黒川氏を充てるための措置だというのがもっぱらの観測である。一説によると、本年4月20日に京都で開催される予定であった国連犯罪防止刑事司法会議で開催国を代表して稲田氏が開会の演説を行うことを花道として稲田氏が勇退し黒川氏が引き継ぐという筋書きであったが、新型コロナウイルスの流行を理由に会議が中止されたためにこの筋書きは消えたとも言われている。

 いずれにせよ、この閣議決定による黒川氏の定年延長は検察庁法に基づかないものであり、黒川氏の留任には法的根拠はない。この点については、日弁連会長以下全国35を超える弁護士会の会長が反対声明を出したが、内閣はこの閣議決定を撤回せず、黒川氏の定年を超えての留任という異常な状態が現在も続いている。

 2 一般の国家公務員については、一定の要件の下に定年延長が認められており(国家公務員法81条の3)、内閣はこれを根拠に黒川氏の定年延長を閣議決定したものであるが、検察庁法は国家公務員に対する通則である国家公務員法に対して特別法の関係にある。従って「特別法は一般法に優先する」との法理に従い、検察庁法に規定がないものについては通則としての国家公務員法が適用されるが、検察庁法に規定があるものについては同法が優先適用される。定年に関しては検察庁法に規定があるので、国家公務員法の定年関係規定は検察官には適用されない。これは従来の政府の見解でもあった。例えば昭和56年(1981年)4月28日、衆議院内閣委員会において所管の人事院事務総局斧任用局長は、「検察官には国家公務員法の定年延長規定は適用されない」旨明言しており、これに反する運用はこれまで1回も行われて来なかった。すなわちこの解釈と運用が定着している。

 検察官は起訴不起訴の決定権すなわち公訴権を独占し、併せて捜査権も有する。捜査権の範囲は広く、政財界の不正事犯も当然捜査の対象となる。捜査権をもつ公訴官としてその責任は広く重い。時の政権の圧力によって起訴に値する事件が不起訴とされたり、起訴に値しないような事件が起訴されるような事態が発生するようなことがあれば日本の刑事司法は適正公平という基本理念を失って崩壊することになりかねない。検察官の責務は極めて重大であり、検察官は自ら捜査によって収集した証拠等の資料に基づいて起訴すべき事件か否かを判定する役割を担っている。その意味で検察官は準司法官とも言われ、司法の前衛たる役割を担っていると言える。

 こうした検察官の責任の特殊性、重大性から一般の国家公務員を対象とした国家公務員法とは別に検察庁法という特別法を制定し、例えば検察官は検察官適格審査会によらなければその意に反して罷免(ひめん)されない(検察庁法23条)などの身分保障規定を設けている。検察官も一般の国家公務員であるから国家公務員法が適用されるというような皮相的な解釈は成り立たないのである。

 3 本年2月13日衆議院本会議で、安倍総理大臣は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」旨述べた。これは、本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕(ちん)は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。

 時代背景は異なるが17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著「統治二論」(加藤節訳、岩波文庫)の中で「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である。

 ところで仮に安倍総理の解釈のように国家公務員法による定年延長規定が検察官にも適用されると解釈しても、同法81条の3に規定する「その職員の職務の特殊性またはその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分の理由があるとき」という定年延長の要件に該当しないことは明らかである。

 加えて人事院規則11―8第7条には「勤務延長は、職員が定年退職をすべきこととなる場合において、次の各号の1に該当するときに行うことができる」として、①職務が高度の専門的な知識、熟練した技能または豊富な経験を必要とするものであるため後任を容易に得ることができないとき、②勤務環境その他の勤務条件に特殊性があるため、その職員の退職により生ずる欠員を容易に補充することができず、業務の遂行に重大な障害が生ずるとき、③業務の性質上、その職員の退職による担当者の交替が当該業務の継続的遂行に重大な障害を生ずるとき、という場合を定年延長の要件に挙げている。

 これは要するに、余人をもって代えがたいということであって、現在であれば新型コロナウイルスの流行を収束させるために必死に調査研究を続けている専門家チームのリーダーで後継者がすぐには見付からないというような場合が想定される。

 現在、検察には黒川氏でなければ対応できないというほどの事案が係属しているのかどうか。引き合いに出されるゴーン被告逃亡事件についても黒川氏でなければ、言い換えれば後任の検事長では解決できないという特別な理由があるのであろうか。法律によって厳然と決められている役職定年を延長してまで検事長に留任させるべき法律上の要件に合致する理由は認め難い。

 4 4月16日、国家公務員の定年を60歳から65歳に段階的に引き上げる国家公務員法改正案と抱き合わせる形で検察官の定年も63歳から65歳に引き上げる検察庁法改正案衆議院本会議で審議入りした。野党側が前記閣議決定の撤回を求めたのに対し菅義偉官房長官は必要なしと突っぱねて既に閣議決定した黒川氏の定年延長を維持する方針を示した。こうして同氏の定年延長問題の決着が着かないまま検察庁法改正案の審議が開始されたのである。

 この改正案中重要な問題点は、検事長を含む上級検察官の役職定年延長に関する改正についてである。すなわち同改正案には「内閣は(中略)年齢が63年に達した次長検事または検事長について、当該次長検事または検事長の職務の遂行上の特別の事情を勘案して、当該次長検事または検事長を検事に任命することにより公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める事由があると認めるときは、当該次長検事または検事長が年齢63年に達した日の翌日から起算して1年を超えない範囲内で期限を定め、引き続き当該次長検事または検事長が年齢63年に達した日において占めていた官及び職を占めたまま勤務をさせることができる(後略)」と記載されている。

 難解な条文であるが、要するに次長検事および検事長は63歳の職務定年に達しても内閣が必要と認める一定の理由があれば1年以内の範囲で定年延長ができるということである。

 注意すべきは、この規定は内閣の裁量で次長検事および検事長の定年延長が可能とする内容であり、前記の閣僚会議によって黒川検事長の定年延長を決定した違法な決議を後追いで容認しようとするものである。これまで政界と検察との両者間には検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例があり、その慣例がきちんと守られてきた。これは「検察を政治の影響から切りはなすための知恵」とされている(元検事総長伊藤栄樹著「だまされる検事」)。検察庁法は、組織の長に事故があるときまたは欠けたときに備えて臨時職務代行の制度(同法13条)を設けており、定年延長によって対応することは毫(ごう)も想定していなかったし、これからも同様であろうと思われる。

 今回の法改正は、検察の人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を殺(そ)ぐことを意図していると考えられる。

 5 かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査、公判の推移に一喜一憂しつつ見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった。

 振り返ると、昭和51年(1976年)2月5日、某紙夕刊1面トップに「ロッキード社がワイロ商法 エアバスにからみ48億円 児玉誉士夫氏に21億円 日本政府にも流れる」との記事が掲載され、翌日から新聞もテレビもロッキード関連の報道一色に塗りつぶされて日本列島は興奮の渦に巻き込まれた。

 当時特捜部にいた若手検事の間では、この降って湧いたような事件に対して、特捜部として必ず捜査に着手するという積極派や、着手すると言っても贈賄の被疑者は国外在住のロッキード社の幹部が中心だし、証拠もほとんど海外にある、いくら特捜部でも手が届かないのではないかという懐疑派、苦労して捜査しても造船疑獄事件のように指揮権発動でおしまいだという悲観派が入り乱れていた。

 事件の第一報が掲載されてから13日後の2月18日検察首脳会議が開かれ、席上、東京高検検事長の神谷尚男氏が「いまこの事件の疑惑解明に着手しなければ検察は今後20年間国民の信頼を失う」と発言したことが報道されるやロッキード世代は歓喜した。後日談だが事件終了後しばらくして若手検事何名かで神谷氏のご自宅にお邪魔したときにこの発言をされた時の神谷氏の心境を聞いた。「(八方塞がりの中で)進むも地獄、退くも地獄なら、進むしかないではないか」という答えであった。

 この神谷検事長の国民信頼発言でロッキード事件の方針が決定し、あとは田中角栄氏ら政財界の大物逮捕に至るご存じの展開となった。時の検事総長は布施健氏、法務大臣は稲葉修氏、法務事務次官塩野宜慶(やすよし)(後に最高裁判事)、内閣総理大臣三木武夫氏であった。

 特捜部が造船疑獄事件の時のように指揮権発動に怯(おび)えることなくのびのびと事件の解明に全力を傾注できたのは検察上層部の不退転の姿勢、それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在であった。

 国会で捜査の進展状況や疑惑を持たれている政治家の名前を明らかにせよと迫る国会議員に対して捜査の秘密を楯(たて)に断固拒否し続けた安原美穂刑事局長の姿が思い出される。

 しかし検察の歴史には、捜査幹部が押収資料を改ざんするという天を仰ぎたくなるような恥ずべき事件もあった。後輩たちがこの事件がトラウマとなって弱体化し、きちんと育っていないのではないかという思いもある。それが今回のように政治権力につけ込まれる隙を与えてしまったのではないかとの懸念もある。検察は強い権力を持つ組織としてあくまで謙虚でなくてはならない。

 しかしながら、検察が萎縮して人事権まで政権側に握られ、起訴・不起訴の決定など公訴権の行使にまで掣肘(せいちゅう)を受けるようになったら検察は国民の信託に応えられない。

 正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。

 黒川検事長の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは、検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きであり、ロッキード世代として看過し得ないものである。関係者がこの検察庁法改正の問題を賢察され、内閣が潔くこの改正法案中、検察幹部の定年延長を認める規定は撤回することを期待し、あくまで維持するというのであれば、与党野党の境界を超えて多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてがこの検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出ることを期待してやまない。

 

 【追記】この意見書は、本来は広く心ある元検察官多数に呼びかけて協議を重ねてまとめ上げるべきところ、既に問題の検察庁法一部改正法案が国会に提出され審議が開始されるという差し迫った状況下にあり、意見のとりまとめに当たる私(清水勇男)は既に85歳の高齢に加えて疾病により身体の自由を大きく失っている事情にあることから思うに任せず、やむなくごく少数の親しい先輩知友のみに呼びかけて起案したものであり、更に広く呼びかければ賛同者も多く参集し連名者も多岐に上るものと確実に予想されるので、残念の極みであるが、上記のような事情を了とせられ、意のあるところをなにとぞお酌み取り頂きたい。

 

 令和2年5月15日

 元仙台高検検事長・平田胤明(たねあき)

 元法務省官房長・堀田力

 元東京高検検事長・村山弘義

 元大阪高検検事長・杉原弘泰

 元最高検検事・土屋守

 同・清水勇男

 同・久保裕

 同・五十嵐紀男

 元検事総長松尾邦弘

 元最高検公判部長・本江威憙(ほんごうたけよし)

 元最高検検事・町田幸雄

 同・池田茂穂

 同・加藤康栄

 同・吉田博視

 (本意見書とりまとめ担当・文責)清水勇男

 

 法務大臣 森まさこ殿

 

出典 https://www.asahi.com/articles/ASN5H4RTHN5HUTIL027.html?fbclid=IwAR1-HRyUMOh3SimGAWcBdSxaEqe36qVZ8eDZShA5AMhZ-dxtZPNSkY8YtuQ

 


元検事総長らOBが“定年延長”反対 意見書提出へ(20/05/14)

犬や豚は

新改訳第三版

「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。」

新改訳2017

「聖なるものを犬に与えてはいけません。また、真珠を豚の前に投げてはいけません。犬や豚はそれらを足で踏みつけ、向き直って、あなたがたをかみ裂くことになります。」マタイ7:6

 

 第三版の翻訳では、踏みにじり引き裂くのが豚だけととらえられそうだったので、2017では「犬や豚はそれらを(アウトゥース)」と訳し変えたようですね。確かに私も以前はそういう印象で読んでいました。

   ここはヘブライ的並行法で書かれているというバーンズ先生の見方があります。ヘブライ的な並行法というのは、詩篇などでよく用いられる文章の技法なのですが、構造としてはABBAとかABCCBAとかABCDDCBAとかいった、いわば、波紋を広げたようなかたちになるのです。この箇所について具体的にいえば、犬、豚、豚、犬という構造になっているんじゃないかというわけです。

 新約聖書ギリシャ語で書かれていますが、イエス様はユダヤ人でしたから、その表現はヘブライ的であったわけで、ヘブライ的な特徴があります。そうだとすると、イエス様のこのおことばは、犬、豚、豚、犬という並行法をなしていると見て、次のように訳すことができます。

「聖なるものを犬に与えてはいけません。

豚の前に真珠を投げてはなりません。

豚は足で真珠を踏みにじるでしょうし、

犬は向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。」

 

 

久しぶりに中学生が

 新型コロナで学校がお休みが続いて、中学生3人が久しぶりに、週日に教会を訪ねてきました。なんだか会うたびに急成長しているなあ。ちょっと前子供だったのに、おっさんみたいな声を出して。でもお菓子をあげると、嬉しそうでやっぱり子供。