苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神に栄光を帰せ

創世記14章

http://www.y-history.net/appendix/wh0101-003_1.htmlより
1.メソポタミア連合軍の襲来

 本日の聖書本文は、紀元前二千年当時(今から四千年前)のオリエントの政治地図を反映しているという意味で、歴史に関心のある人にとっては、たいへん興味深いところです。当時、オリエントにおける強国はエジプトとメソポタミアでした。そして、メソポタミアとエジプトをつなぐ中間にあたる地域が約束の地カナンだったのです。メソポタミアとエジプトの間をキャラバンが東西の文物を運んで行き来して商売をしており、カナンの地はその途中にありましたから、通商で栄えたのです。カナンの地はメソポタミアの王たちがが強い時代には、メソポタミアの王から貢ぎを求められ、エジプトに強い王が現れるとエジプトの王から貢ぎを求められるという状況でした。アブラハムの時代には、メソポタミアの地域に強力な都市国家がいくつもありました。1節にリストアップされる「シヌアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアル」は、メソポタミア都市国家の王たちです。
 そうしたメソポタミア都市国家の王のうちの一人、エラムの王ケドルラオメルが、カナンの地にある五つの都市国家から貢ぎを取り立てていたのです。そのカナンの都市国家の五人の王の名が2節に記されています。「ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シヌアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラの王」です。彼らは12年間ケドルラオメルに貢物を納めていましたが、だんだんと力がついてくるにしたがって、もうはるかな地に住むケドルラオメルにぺこぺこして貢物を収めるのがいやになりました。でも、一人でメソポタミアの強い王にたてついたのでは勝ち目がありませんから、13年目になったとき、このカナンの5人の王は連合して、「われわれは独立する。」とケドルラオメルに対して貢ぎを送ることを止めたのです。
 ケドルラオメルとしては、「なにをちょこざいな」と怒り心頭に発したというところですが、いくら強い王とはいえ、相手が5つの都市国家の王たちですから、自国軍だけで遠征したのでは、もしかすると返り討ちに合う危険もあります。そこで、同じメソポタミア都市国家の王たち三人にも声をかけて、四人でいっしょにカナンに遠征してきたのです。そして、そのついでに通り道の国々、人々をことごとく撃破してしまいました。5節−7節。そして、ついにカナンの五人の王たちとのシディムの谷での決戦となりました。けれども、まったく赤子の手をひねるようなもので、勝負にならず、カナンの王たちの惨敗に終わり、ソドムの王とゴモラの王は国を捨てて逃げ出しました。そこで、メソポタミア連合軍はソドムとゴモラ略奪をほしいままにしたのです。財産も食料も奪われ、多くのものが捕虜とされて連れ去られました。このままでは、彼らはメソポタミアに連れて行かれて奴隷とされてしまいます。
 ところが、このとき、アブラムの甥であるロトがソドムに住んでおり、財産は奪われ、ロトとその家族も捕虜とされてしまったのです。前回、ロトは欲に目がくらんでおじアブラムを裏切ってしまったことを見ました。そして、ソドムの近くにまで天幕を張るようになったと記されていましたが、それから数年経つうちに、ロトはソドムの近くではなく、ソドムの中に住むようになってしまっていたのです。ソドムの中に住む者は、ソドムとともに滅びなければならなくなるのです。神様はロトに対して、この戦争をもって警告を発していらっしゃるのです。


2.アブラムの勝利とこの世の誘惑

 さて、遠くメソポタミアまで連行されていく捕虜の中から一人の男が逃げ出しました。そして、アブラムのところまで来て、言いました。「あなたの甥と家族も、戦争に巻き込まれてしまいました。ソドムの王は逃げ出して、甥ごさんたちは、他の連中といっしょに捕虜にされて、メソポタミアへと連れて行かれるところです。」
 財産のことで裏切られ、物別れになってしまった甥ロトでしたが、アブラムとしてはその救出に立ち上がらなければなりません。そこで、近隣に住む者で盟約を結んでいたアネルとエシュコルに声をかけて、救出に立ち上がったのです。アブラムは一族郎党318人を召集し、カナンの北の端ダンまでメソポタミア連合軍を追跡しました。しかし、圧倒的に多勢に無勢です。昼に戦ったのでは、勝ち目はまったくありません。そこで、夜になるのを待ちました。夜襲をかけたのです。
 メソポタミア連合軍は、油断していました。メソポタミアを出てから向かうところ敵なしというぐあいで戦いを進めてきて、しこたま戦利品と捕虜をかかえて帰国しようとしているのです。カナンの地の主だった都市国家はみなつぶしてしまったのですから、まさか、この期に及んで追撃してくるようなやからがいるとは思いもよらなかったのでしょう。兵士たちは祝勝祝いの宴会で酔っ払い、高いびきをかいて眠りこけていたに違いありません。そこに夜襲をかけられたので、陣営は大混乱に陥って敗走してしまったのです。聖書版の桶狭間の戦です。
こうして、アブラムは大勝利を収めました。そして、16節にあるように、「すべての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻し」ました。

 アブラムは凱旋将軍です。こうしてアブラムはカナンの地において、一躍、英雄となろうとしていたのです。舞台は整いました。アブラムを出迎えたのは、カナンの地の都市国家連合盟主であるソドムの王ベラでした。しかも、その出迎えた場所は、王の谷と呼ばれるシャベの谷です。数年前この地にやってきたアブラムはこのときまでは、遠くからやってきた遊牧民の族長にすぎないとしか見られていなかったのです。けれども、今や、メソポタミアの大軍をわずかな手勢で持って撃破してカナンの地を守った大英雄として、表彰されようとしているのです。カナンの地における名士の一人として、ソドムやゴモラの王たちと名を連ねようとしているのです。
 これはアブラムに対するこの世の誘惑であり、悪魔の誘惑でした。アブラムは非常な霊的危機であったというべきです。というのはソドムという町は、罪と腐敗の温床でした。町全体が罪で腐っているような状態でした。もしアブラムが、ソドムの王から祝福を受け、盟約でも結ぶことになれば、アブラムは神から離れて罪を犯し、ロトと同じように滅びへの道をたどることになるでしょう。


3.メルキゼデクの祝福とアブラムの応答

(1)メルキゼデクの祝福
 ところが、ここにもう一人の王が現れたのです。シャレムの王メルキゼデクです。メルキゼデクはたいへん不思議な人物です。結論からいえば、これはイエス様が、受肉前にこられたのではないかと思われるのです。そういえば、このときメルキゼデクが携えてきたものを見てください。「パンとぶどう酒」とあるではありませんか。イエス様のお定めになった聖餐を彷彿とさせます。メルキゼデクについて、新約聖書ヘブル書は次のように述べています。
キリストについてこう言われます。

「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」(ヘブル5:6)

「このメルキゼデクは、サレムの王で、すぐれて高い神の祭司でしたが、アブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。またアブラハムは、彼に戦利品の十分の一を分けました。まず彼は、その名を訳すと義の王であり、次に、サレムの王、すなわち平和の王です。父もなく、母もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。その人がどんなに偉大であるかをよく考えてごらんなさい。族長であるアブラハムでさえ、彼に一番良い戦利品の十分の一を贈ったのです。」(ヘブル7:1−4)

そして、キリストについても聖書は次のように言っています。

「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。」(ヘブル7:24)

 
 さて、メルキゼデクは、アブラムを祝福します。

 「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」

 メルキゼデクの祝福のことばは、いと高き神からの祝福を取り次ぐ言葉でした。この世の王からの賞賛ではなかったのです。また、このたびの勝ち戦において、誉れを受けるのはアブラハムではなく、アブラハムに敵を渡されたいと高き神であるということです。 この世の王ソドムの王は、アブラムを褒め称えます。けれども、メルキゼデクはいと高き神に栄光をお返しするのです。


(2)アブラムの応答
 ソドムの王とシャレムの王メルキゼデク(キリスト)を前に、アブラムはどうしたでしょうか。アブラムは、この世とキリストとどちらを取ったでしょうか。アブラムは、ソドムの王の申し出を退け、メルキゼデクからの神の祝福を受けたのです。
 アブラムはメルキゼデクにすべての物の十分の一を差し上げました。新改訳の「与えた」という翻訳はよくないですね。格としては、メルキゼデクのほうがアブラムよりも上ですから。いわゆる十分の一奉献の始まりです。アブラムは、このたびの奇跡的な勝利は、神がくださったものであるということをはっきりと知らされ、その神に対する感謝と信仰告白の証として十分の一を捧げたのでした。ソドムの王は、「あなたが自分の力と知恵と才能で、この勝利を得たのです。あなたはすばらしい。だから、財産はあなたのものです。」と言うのですが、神の祭司メルキゼデクは「この勝利は、神があなたに賜ったのです。」と言ったのです。ですから、アブラムとしては当然のごとくに十分の一を返すことによって、「この勝利は神がくださった贈り物なのです」とい信仰の告白をしたのです。
 そして、他方では、この世の代表者であるソドムの王に対しては、一切の借りを作らないようにしました。22,23節。

結び
 私たちは、キリストを信じたとき、確かに天の国籍をいただきました。けれども、なおこの世界に生きています。この世界に派遣されているのです。この世にあって、キリストの光を反映するためです。この世との接点が生じてきます。そのとき、どう生きるべきかということが問われます。
 勝利を得た瞬間が危ない。サタンがひそかに攻撃をしかけてくるからです。悪魔は、あなたの名誉欲をくすぐり、金銭欲につけいってくるのです。肉の欲、眼の欲、虚栄心これらに誘惑をしかけてくるのです。そこにキリストが来られて、私たちに目を覚ませとおっしゃいます。あなたに成功を収めさせた神に栄光を帰しなさい。神に栄光を帰して、礼拝・献身のささげものをすることにより私たちは世に勝利するのです。