苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ソドム滅亡

創世記19章  


 ソドムの町は、東西南北の通商の交差点でした。東にメソポタミア、その向こうにはインドのインダス文明、西北にはギリシャのエーゲ文明、南にエジプト文明があり、そうした文物が行き来する交差点にあったのがソドムの町でした。そうした通商によって富が蓄えられ、文明は爛熟していました。それは人の目を驚かすような魅力的なものに満ちていたことでしょう。
 しかし、富が集まり、文明が栄えるところには、不道徳がはびこるというのは歴史の必然のようです。人は富と文明に溺れてこれを偶像化して、まことの神に背を向けてしまいます。ソドムにおける道徳的腐敗臭は、天にまで届いていたので、神はこの町を滅ぼすために、二人の御使いを送り込みました。二人の御使いはこの世の者とは思えない美しい姿をしていたようです。


1 ソドムの惨状

(1)腐っても鯛

19:1 そのふたりの御使いは夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところにすわっていた。ロトは彼らを見るなり、立ち上がって彼らを迎え、顔を地につけて伏し拝んだ。
19:2 そして言った。「さあ、ご主人。どうか、あなたがたのしもべの家に立ち寄り、足を洗って、お泊まりください。そして、朝早く旅を続けてください。」すると彼らは言った。「いや、わたしたちは広場に泊まろう。」
19:3 しかし、彼がしきりに勧めたので、彼らは彼のところに向かい、彼の家の中に入った。ロトは彼らのためにごちそうを作り、パン種を入れないパンを焼いた。こうして彼らは食事をした。

 先にメソポタミア軍によってソドムが陥落させられたことは、神様からのロトに対する警告でした。「この罪深い町は危険である。早晩、神はこの町を滅ぼされるのだから、ロトよ、そこを離れよ」という警告だったのです。
 ところが、のど元過ぎれば・・との言葉通り、ロトはメソポタミア軍が引き上げてしまうと、またもソドムの町の中に住むようになってしまうのです。しかも、「ロトはソドムの門のところに座っていた」とあります。当時の習慣では、門の所に座っている人々は町の顔役で、町に住む人々の間にいさかいがあったりすると、その裁きを付けたり仲直りさせたりする務めをになったものでした(ルツ4:1〜)。実際、ロトは町の人々から9節で「こいつはよそ者として来たくせに、さばきつかさのようにふるまっている。」と言われています。 
 ロトは最初はソドムの近くに住むだけでしたが、徐々にソドムに深入りして行って、町の顔役になってしまっていたのでした。あるいは、おじアブラムの活躍でソドムが救われたので、ロトは町の中で重要な立場を占めるようになっていたのだろうと想像されます。


(2)ソドムの性道徳の腐敗
  さて、ロトが自分の家に旅人を招じ入れると、町中の者たちが若者から年寄りまでぞろぞろと集まって来て、家を取り囲みました。そして、ロトの家に泊まろうとしているこの世の者とは思えない美しい二人の旅人を慰み者にしようとして取り囲みました。

「19:4 彼らが床につかないうちに、町の者たち、ソドムの人々が、若い者から年寄りまで、すべての人が、町の隅々から来て、その家を取り囲んだ。
19:5 そしてロトに向かって叫んで言った。「今夜おまえのところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」

 ここで「よく知りたい」というのは性的な交渉を暗示する表現です。ソドムというのは今日英語でソドミーという男色を意味することばに残っています。天使たちの神々しく美しい姿に彼らはみだらな倒錯した欲望にかられたのです。ローマ書1章にも、真の造り主である神様に背を向けた文明の中には、まず偶像崇拝、次に性的倒錯ということが起こってくると記されています。人は創造主を見失うと、創造主の定めた男女の別がわからなくなります。

「1:26 こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、 1:27 同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行うようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。」(ローマ1:26,27)

 
 申命記を読むと、カナンの地では特に性的な倒錯が特にひどかったので、モーセに率いられてエジプトを脱出した民がカナンの地に入るに先立って、近親相姦をしてはいけない、獣姦をしてはいけないという誓約をさせられています(申命記27:20−23 )。創造主を見失う時、人は男女の区別だけでなく、自分が人間であることの意味すらわからなくなって、獣と人間との区別さえも見失ってしまいます。人は、本来、神のかたちである御子に似た者として造られた点で他の被造物とちがうのですが、真の神を見失うと、人間が人間である根拠を失います。ギリシャ神話などにも、半分獣で半分ロバといった生き物が出て来るでしょう。
 これは単に、古代の話ではありません。現代はあらゆる生き物は一つのアメーバから発生し、偶然に偶然が重なってあらゆる生物ができたのだという教えによって、人間とほかの動物との境目がなんであるのかわからなくなっています。人間の人間としての尊厳がわからないのです。

 加えて、考古学者の発掘によってこのカナンの地におけるバアル・アシュタロテといった神々を崇拝する宗教もまた常軌を逸して恐ろしいことが日常的に行われていたことがわかっています。

「1904-9年にパレスチナ探検隊基金によってマカリスターの行ったゲゼル発掘において、紀元前1500年頃の、イスラエル占領前のおカナン人の文化層の中から、カナン人が彼らの神バアルや女神アシュタロテを拝んだ神殿’高き所’の廃墟が発見された。……この’高き所’の中の墔積物の下から、マカリスターは、バアルの犠牲に供された子供の遺骸の入った壷を多数発見した。そしてこの地域全体は生後まもない子供の墓地であることがわかった。
 この他にも彼らが「定款犠牲(人柱)」と呼んだ恐るべき習慣がある。これは、家を建てる時、残りの家族に幸運をもたらす為、幼児を犠牲にし身体を壁に塗り込めた。これも多数ゲゼルで発見され、又メギドでもエリコでも発見された。
 またこの「高き所」の中の墔積物の下から、マカリスターは数々のアシトレテの像と微章とを発見した。それには性感の誘惑を企画したかの如き甚だ誇張された性器がつけられている。
かく、カナン人は宗教儀式に代えて不道徳にふけり、もって彼らの神々に対する礼拝としたのである。また更にこれらの神々に対する犠牲として、彼らに生まれた最初の子供は殺されたのであった。
 これは恰もカナンの地の大方が、国家的な規模でソドムやゴモラの如きものとなっていたという感を与える。(後略)」(ハーレイ『聖書ハンドブック』 p157)

(3)ロトと家族もまた腐って・・・

19:6 ロトは戸口にいる彼らのところに出て、うしろの戸をしめた。 19:7 そして言った。「兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでください。 19:8 お願いですから。私にはまだ男を知らないふたりの娘があります。娘たちをみなの前に連れて来ますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」

 先ほどロトについて「腐っても鯛」と申しましたが、ロトは鯛ではあるのですが、やっぱり腐っています。朱に交われば赤くなるのです。旅人を守りたいのはわかりますが、そのために娘たちを暴徒たちの慰み者として差し出しますというのはめちゃくちゃです。
 当然、これはロトだけのことではありません。後ほど、ソドム滅亡の後に、ソドムから脱出したロトと娘たちにかんする気持ち悪い記事が出てきます。そこでは、娘たちが自分たちの子を得るために、半分、ソドム滅亡を目撃した恐怖のゆえに廃人のようになってしまった父親を酔っぱらわせて、近親相姦を行なったとあります。娘たちもまた、このソドムの文化の影響を受けてしまっているのです。
 ロトの家族のうちには、真の創造主である神に対するアブラハム家と同じ信仰が受け継がれていたはずなのですが、ソドムの中で暮らすうちに何が正しくて神に喜ばれ、何が悪いことで神が忌み嫌われるかということがわからなくなってしまったのです。朱に交われば赤くなるのです。
 現代の日本に住む私たちにとって、ソドムにおける性的倒錯をはじめとする道徳的な腐敗という事態は、他人事として済ませられるでしょうか。私たちはテレビや雑誌や新聞や学校教育やネット情報を通じて、この世の価値観に自分の価値観が狂わされてしまわないように、警戒する必要があります。善悪の知識の木から実を取って以来、わがままな人間は「わたしがしたいことが善で、わたしがしたくないことが悪」「おれが気持ちいいことが善で、おれが気持ち悪いことが悪」という生き方をするようになってしまったので、神のお定めになった善悪がわからなくなっているのです。
 変わることのない、永遠の神のことばに耳を傾け続けることがたいせつです。


2 神による救いとさばき


 ロトがいくら説得しようとしてがんばっても、町中の暴徒たちはおさまるわけがありません。

「19:9 しかし彼らは言った。「引っ込んでいろ。」そしてまた言った。「こいつはよそ者として来たくせに、さばきつかさのようにふるまっている。さあ、おまえを、あいつらよりもひどいめに会わせてやろう。」彼らはロトのからだを激しく押しつけ、戸を破ろうと近づいて来た。 19:10 すると、あの人たちが手を差し伸べて、ロトを自分たちのいる家の中に連れ込んで、戸をしめた。 19:11 家の戸口にいた者たちは、小さい者も大きい者もみな、目つぶしをくらったので、彼らは戸口を見つけるのに疲れ果てた。」


(1)強制的な救い
 ソドムの惨状をこのまま放置するならば、人類全体にまで道徳的腐敗が拡がること必定でした。あの大洪水の前のような状態だったのです。そこで聖なる神は、この町を滅ぼすことを決断なさいます。
 しかし、主は、この町を滅ぼす前に、アブラムの取り成しの祈りに答えて、親戚のロトと妻と娘二人と娘の婿二人に逃げる猶予を与えてくださいました。

  19:12 ふたりはロトに言った。「ほかにあなたの身内の者がここにいますか。あなたの婿やあなたの息子、娘、あるいはこの町にいるあなたの身内の者をみな、この場所から連れ出しなさい。 19:13 わたしたちはこの場所を滅ぼそうとしているからです。彼らに対する叫びが【主】の前で大きくなったので、【主】はこの町を滅ぼすために、わたしたちを遣わされたのです。」

 真夜中のことです。ロトは婿たちの二件の家の戸をドンドン!ドンドン!とたたいて、警告を与えました。しかし、残念ながら婿たちには舅のロトが告げるソドム滅亡という警告は冗談としてしか聞こえず、ソドムを脱出しようとはしませんでした。

19:14 そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。【主】がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。

 婿たちはロトにはついてきません。彼らはソドムとともに滅びることになります。いよいよ「その時」が迫ってきました。

  「19:15 夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう。」」

 婿たちだけでなく、ロトと妻と娘たちもソドムを脱出することを躊躇していたのです。危機が目前に迫っているにもかかわらず、まだ実感がわかなかったのです。見捨てられても仕方のないほどに、彼らもまた不信仰の闇の中にいたのです。けれども、主の憐みがロトの罪と弱さに勝っていました。御使いたちは、もはやこれまで、と彼らの手をつかんで滅びの町から彼らを強引に救い出すのです。

「19:16 しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。──【主】の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。」
 そして御使いは言いました。
19:17「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」
 ことここに及んでも、なおロトは御使いたちのことばを信じることができずに、つべこべと呑気なことを言っています。
19:18 ロトは彼らに言った。「主よ。どうか、そんなことになりませんように。 19:19 ご覧ください。このしもべはあなたの心にかない、あなたは私のいのちを救って大きな恵みを与えてくださいました。しかし、私は、山に逃げることができません。わざわいが追いついて、たぶん私は死ぬでしょう。
19:20 ご覧ください。あそこの町は、のがれるのに近いのです。しかもあんなに小さいのです。どうか、あそこに逃げさせてください。あんなに小さいではありませんか。私のいのちを生かしてください。」
 御使いはさらに寛容に、ロトのことばを受け入れました。
19:21 その人は彼に言った。「よろしい。わたしはこのことでも、あなたの願いを入れ、あなたの言うその町を滅ぼすまい。 19:22 急いでそこへのがれなさい。あなたがあそこに入るまでは、わたしは何もできないから。」それゆえ、その町の名はツォアルと呼ばれた。
  19:23 太陽が地上に上ったころ、ロトはツォアルに着いた。

(2)ソドム滅亡・・・・考古学上の発見
 夜が明けて、こうしてロトがツォアルに避難したときでした。天から轟音が響き渡り、ソドムとゴモラの上にさばきが下りました。ロトの妻はソドムにおける気楽で淫靡な生活に後ろ髪惹かれたのでしょう。振り返って、ソドムと一緒に滅びてしまいます。

19:24 そのとき、【主】はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の【主】のところから降らせ、 19:25 これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。 19:26 ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。
19:27 翌朝早く、アブラハムは、かつて【主】の前に立ったあの場所に行った。
19:28 彼がソドムとゴモラのほう、それに低地の全地方を見おろすと、見よ、まるでかまどの煙のようにその地の煙が立ち上っていた。

 今日、ソドムとゴモラと目される場所が発見されています。ソドムは死海の南端の西岸にあり、ゴモラはもう少し北のやはり西岸でマサダ要塞から見下ろせる場所にあります。いずれも、あきらかに周囲とはちがって、正方形で白い色の地面となっています。
 古代都市はしばしば正方形に城壁で囲まれたスペースとして造られました。白い色は灰で、分析すると硫酸カルシウム(石膏)です。石膏というのは、石灰岩あるいは大理石(炭酸カルシウム)が硫黄の火で燃やされるときの副産物なのだそうです 。つまり、石灰岩(その結晶化したものは大理石)を積み上げて造られた古代の都市が、硫黄の火で焼けてしまったということがわかります。
 ソドムは相当風化が進んでしまっていて、ところどころにそこに建造物であったらしい小山が見られるだけですが、ゴモラは、城壁だったろうと思われる石膏の壁に囲まれ、その中に周辺には見られないスフィンクスの形の石膏の大きなかたまり、神殿だっただろうと思われる構造物の石膏の遺跡が見られます。近くにカナン人の墓があり、その数少なくとも百万人分あるそうです。
 しかも、注目すべきことに、ソドムやゴモラの石膏の灰の中でしばしば発見される硫黄の白い塊は、98%の純度の硫黄と微量のマグネシウムから成っていることです。 箱根の大涌谷とか、草津温泉のような地熱地帯では硫黄の噴出物が観察できますが、そうした場所で見出される硫黄の結晶は40%以下の純度でしかありません。ということは、どういうことを意味するでしょう?ソドムとゴモラは火山の噴火などの、いわゆる天然の地熱作用によって滅びたのではないということです。そうではなく、ソドムとゴモラは、聖書に書かれているとおり、超自然的な作用としての「天からの火と硫黄の雨」が降り注いだことによって滅びたのです。


結び
 ソドムは、経済的・文化的繁栄の果てに、道徳的に腐敗して、特に性道徳の腐敗があたりまえでした。背景には、この地域のみだらな偶像崇拝があり、また幼児を犠牲としてささげるということも広く行われていました。神は、たいへん忍耐強いお方ですが、あくまでも改めようとしないならば、最後には滅ぼしてしまわれるのです。
 現代社会にも、ある程度ソドムと類似した状況があるということを認めざるをえません。世界中での性道徳の崩壊と混乱、その結果として闇から闇に葬られる胎児の数は、ソドムとゴモラのいけにえの比ではありません。日本では年間30万人だそうです。(もちろん母体の生命を守るためにやむなく・・・という事情の場合は、話はまったく別ですが。)
 御使いの救出劇を見る時、私たち自身滅びゆくこの世の価値観に染まっていた私たちを、神様は時には強引に手を握って救い出してくださったのだということに気づきます。
 ソドム滅亡は、ある日、突然にやってきました。主の再臨もある日突然やってきます。日々、心を備えて生きてまいりましょう。 滅びゆくこの世の価値観にそまってしまわないように、私たちは変わることのない神のことばにしっかりととどまりましょう。

「24:35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。 24:36 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
・・・
24:42 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。」マタイ24:35,36,42