苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

食物の定め

主はまたモーセとアロンに言われた、 11:2「イスラエルの人々に言いなさい、『地にあるすべての獣のうち、あなたがたの食べることができる動物は次のとおりである。 11:3獣のうち、すべてひずめの分かれたもの、すなわち、ひずめの全く切れたもの、反芻するものは、これを食べることができる。 11:4ただし、反芻するもの、またはひずめの分かれたもののうち、次のものは食べてはならない。すなわち、らくだ、これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。 11:5岩たぬき、これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。 ・・・・
                 レビ記11章


 海外のニュースでイギリスで牛肉と装って馬肉を売った業者が訴えられ国際問題にまでなっていると聞いた。イギリスでは馬肉食はタブーなのだそうである。なぜだかは知らない。レビ記11章に基づけば、たしかに馬は反芻はするものの、ひづめが割れていないから食べてはいけなかったのだが、現代イギリスのタブーがレビ記の規定に基づくわけではない。彼らはひづめは割れているが反芻しない豚を食することには、なんら抵抗感を持たないからである。
 かつてスウェーデンに信州名物いなごの佃煮を持っていったことがあったが、若者たちは怖がって決して口にしようとはしなかった。引退宣教師たちはみなさっさと食べてしまった。宣教師魂を感じたが、あるいは世代的なちがいもあるかもしれない。ちなみにレビ記では、虫は禁忌とされたがバッタ、イナゴの類は例外として食することが許された。
 食べ物のタブーというのは、実に民族によりさまざまである。人間はだれもが自己中心なので、自民族の食べるものは正常であり、自民族にとってのタブーとされるものを平気で食べる他民族を見て異常だと感じる。

 以上は枕で、レビ記の理解とはさして関係ない。レビ記の食物規定には今日のわれわれには理解しがたいことがたくさんある。おそらく多くの部分は、当時、神の民イスラエルが住もうとしていたカナンの地における異教的習俗との区別を表現することと、衛生上の目的があったのではないかと言われる。
 ともかく、聖書に一貫する原則は、神が許されたものを食し、神が禁じられたものは食せず、ということである。最初、人は穀物菜食を許されたが、一本の木のみ禁じられた。その禁を犯した最初の人はアダムとその妻であった。大洪水の後、肉食が許されたが、すでにこの頃、きよい動物とそうでない動物の区別はされていた。律法の時代はレビ記の食の規定があった。ダニエルは異教の地にあって、けがれた食物を避けて、律法の定めにしたがうことに努めた。だが、新約の時代、主はすべてのものをきよいとして食することを許された。いずれにせよ、食べるにも飲むにも何をするにもただ神の栄光の現れんがためにせよ。これが原理。