苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

自主の砦だった9条

 昨日引用した『CIA秘録』紹介の文章にはたいへんなことが書かれている。特に、「CIAは岸信介工作員として自民党に送り込み、岸はCIAの巨額の資金援助によって政治家を買収し、首相になった。岸の他にも、児玉誉士夫正力松太郎もCIAの工作員だったことが、米政府の公開した文書で確認されている。」というくだりである。自民党の岸、読売の正力、右翼の児玉はみなCIAの手先だった。週刊文春は2007年10月4日に「岸信介はCIAのエージェントだった」という記事を掲載しているが、これは翻訳される以前の『CIA秘録』に基づいて書かれたものだった。翌2008年秋、邦訳されて文芸春秋社から出版された。http://www.cscreate.net/anpo_mukou/kizi07_10_4.pdf
 この事実に基づいて、日米安保条約無効訴訟が昨年起こされている。米国に買収されていたスパイが日本側の代表者だった日米間の条約は無効ではないかという、考えてみれば、しごくあたりまえの訴えである。詳細は、「日米安保条約無効訴訟の会」のサイトを参照されたい。http://www.cscreate.net/anpo_mukou/ だが、一審では裁判所は、例のごとく、判断を避けて門前払いにしている。CIAからの莫大な資金が1970年代まで自民党政府に秘密裏に投入された。岸と後継者自民党政府が外国から政治資金を受けたことは、1948年にできた政治資金規正法違反である(第22条5)。敗戦後長きにわたって、つい先ごろまで、わが国の自民政府は米国の傀儡政権だった。その事実が、白日の下にさらされたわけである。
 だが一度、日本は自主外交をしようと試みたことがある。岸信介実弟佐藤栄作首相が自分の後継者に据えようとした、岸の愛弟子福田赳夫が首相になりそこねて、1947年田中内閣が成立したときのことだ。田中は米国と一定の距離をとって、米国を抜きにして日中国交正常化を果たした。しかし、これは米国の逆鱗にふれウォーターゲート事件田中角栄は葬られたと言われる。詳細は筆者の知るところではないが、昨日引用したコラムの斎藤氏は、このたびの自民党清和会と検察官僚と読売をはじめとするマスコミによる小沢たたきに同じ背景を見ているわけである。
 では、戦後日本の歩みには、米国のいいなりにならないで自主的に歩みえた部分がなかったのか?いや、あった。それは、日本は兵士を朝鮮戦争ベトナム戦争に派遣しなかったという事実である。韓国兵はのべ35万人がベトナム戦争に刈りだされて四万人を殺害し、五千人戦死していて、これは今日でも韓国社会の深い傷であり、ベトナムの傷である。日本は傀儡政権でありながら、なぜそんなことが可能だったのか。憲法第9条のゆえだった。日本国憲法第9条は、日本の自主自立のための砦であった。
 CIAの手先であった岸信介が、憲法9条を目の敵にしてきたのは当然であった。米国の国益にかなうように日本をコントロールすることを任務とする岸にとって、憲法9条は目の上のたんこぶであった。米軍の戦争の下請けをするために、岸は「自主憲法」「自主軍備」「自主外交」を日本再建論の三大スローガンとしたのである。孫の安倍晋三にいたるまで自民党タカ派の後継者たちは基本的に同じ路線であった。
 だが、事実は、日本国憲法の<国民主権基本的人権尊重・戦争放棄>という三大特色はいずれも、実質的に日本人の手に成ったものなのである。自民党清和会の目指した「自主憲法」は米国に屈従するための憲法であり、日本国憲法こそ真の自主憲法なのである。先に書いた日本国憲法の成立事情を参照されたい。http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20091215/p2
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20091216
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20091231/p1