苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

宮村先生との出会い(その4)

恐れ
 神学校では聖書語学をはじめとしてむずかしい学びの生活が始まり、教会では奉仕神学生として教会学校やいろいろ楽しい経験をさせていただいた。多忙ではあったけれども、充実した日々であった。だが私のなかにはひとつの恐れがあった。
神学校に入る前、朝岡茂牧師は私に「神学校というのは軍隊でいえば士官学校だ。そのつもりで勉学と奉仕にいのちがけで励みなさい。」とおっしゃった。ところが先に触れたように、実家の父が四月十日に食道ガンの手術をしたために、四月にはいるやいなや、私は看病のため帰省をしなければならなくなってしまった。奉仕神学生として二度目の主の日に欠席である。
その後、父の病状は、末期ガンで延命手術をした場合に典型的な経過をたどることになる。術後、いったんよくなったかに見えて、ほんのしばらく帰宅もゆるされたが、まもなく再び坂道を転がり落ちるように悪化していくのである。病名を告知されていない父は、いったん上向いたかに見えた病状が再び重くなってくると当然、不安にもなり、「本当によくなるのか、こんなにしんどくてはたまらない、神様が遠くに行かれたような気がする」といったことばまで周囲にもらすようになった。こうした父のようすを母から伝え聞いて祈っていた私は、父は信仰を失って滅びてしまうのではないかと気が気ではなかった。日々父に付き添っている母の看病疲れも気遣われたから、折々帰省しないではいられなかった。
しかし、私の胸のうちには責めがあった。「おまえはそれでも神学生か。召集された兵士が、親が病気だからといって帰省などするだろうか。福音のために親も子も捨てるのが主のしもべではないのか。」と。そして、宮村先生はいったいこんな自分の行動をどのように見ていらっしゃるのだろうかと評価を恐れる気持ちがあった。そのころ私は、まだ宮村先生の思想を理解することからほど遠かったのである。(つづく)