苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ノアの苦労、カルヴァンの苦労

 史上最初の動物園の園長ノアは、動物たちを箱舟に順々に乗せて、それから1年と10日間にわたって、彼らの世話をしました。それはどれほどたいへんだったでしょう。カルヴァンは『綱要』の中で、ノアの苦労について「ノアは生涯の大部分のときを方舟の建造に疲れきって働いた。彼は死を免れたが、それは百度死ぬよりももっとわずらわしかった。すなわり、箱舟は十ヶ月(ママ)にわたって、かれにはあたかも墓穴のようなものであったが、そのほかに、この長い期間、獣たちの排泄物のなかに空気もかよわぬままに、ほとんど浸ったままで置かれたというほどつらいことがありえようか。」(綱要Ⅱ,10,10)と書いています。

 カルヴァンの「死を免れたが、それは百度死ぬよりもずっとわずらわしかった」という言い回しに似た言い回しが、カルヴァンの同労者ファレルへの手紙の中に見られます。ジュネーブは市の改革のためにカルヴァンを招いておきながら、カルヴァンが改革を徹底していくと、たちまちカルヴァンを追放しました。ところが、カルヴァンがいなくなるとまたぞろカトリック勢力がジュネーブで画策し始めました。そこでジュネーブ市当局は、カルヴァンを再び招聘する手紙を書きました。

 この手紙を受け取ったカルヴァンは、ファレルへの手紙に次のように書きました。「印刷やのミシェルは、私のジュネーブ帰還は実現されるだろうというブレシュレの言葉を知らせてきました。しかし毎日あの十字架に千回かけられるよりも、むしろ百回も死んだほうがましです。」(CR39,301540年3月29日ファレルへ)カルヴァンは理性なき野獣たちの排泄物の悪臭と喚き声に満ちたノアの箱舟のくだりを、陰謀をめぐらせ改革を挫折させようとするローマの蛇のようなスパイや、教皇庁からの独立を望みながらも神に従いたくない野獣のような人々が満ちているジュネーブありさまをノアの箱舟と重ね合わせて書いているのでしょう。こちらの「毎日千回十字架に」という言い回しからすれば、ジュネーブの方が箱舟よりも酷いというわけでしょう。

  ノアの、箱舟の船長としての生活は、けっして優雅なものではありませんでした。方舟の中でたくさんの動物たちの世話に忙殺されたものでした。箱舟は暗くて悪臭と排泄物に満ちた動物園のようなものでした。ノアは、生涯を主にささげて、獣ちに仕えたのでした。カルヴァンは学者として過ごすことを目ざしてストラスブールに向かっていたのですが、ギョーム・ファレルのことばに神の召しのことばを聞いて震えあがり、ジュネーブ教会の改革に身を投じました。カルヴァンジュネーブにおける生活は、改革をとん挫させるために権謀術数を尽くすような悪意に満ちた人々、無関心な人々、不敬虔な人々を悔い改めに導き、教会に秩序を回復するために日夜忙殺されるというものでした。