苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

入院・手術

 4月1日(月)に市立病院に入院し、翌日、副鼻腔炎の手術をして、昨日6日に退院して来ました。昨年6月にコロナにかかったあと、左耳がよく聞こえないという症状があって近所の耳鼻科に行ってレントゲンをとったところ、左の副鼻腔が真っ白であることが判明しました。その後、投薬治療を続けてきましたが、結局、鼻腔と副鼻腔をつなぐ穴が鼻茸とかいうのができて塞がっているので埒が明きません。そこで、教団理事会の務めが終わり、神学校がお休みになって一週間お休みをとれる時を待って、今回の手術となったわけです。副鼻腔炎の手術の場合、術後、丁寧に処置しておかなければ、再発してしまう可能性が高いので、まず一週間は入院というのが普通なのだそうです。

 入院中は久々ゆったりする時間が持てるかなと思ったのは、入院1日目だけでした。その日は、全身麻酔をするので丁寧に直前検査をいくつかはしましたが、合間に前日に届いたアドラー心理学の本を読了することができました。牧会経験と照らしてなるほどと思えることも多い興味深い内容でした。でも、手術当日は朝昼は点滴ごはんで、午後一時から手術室に移動し、手術台の上に横になりました。テレビではドクターXなどで何度も見ましたから、初めてですが慣れた感じで寝て、全身麻酔のためまず酸素を体中にいきわたらせたあと、麻酔ガスークロロホルムというのでしょうか?ーを吸わされたら、すぐ意識不明となりました。夢を見ることもなく、声をかけられて気が付いたら手術は終わっていました。全身麻酔の手術は楽です。ただ心臓に問題がある場合、危険もあるそうです。
 まず痛かったのは、術後、小用を足すためにトイレに入ったところ、全身麻酔で垂れ流しになることを防ぐために小便のチューブを通されたことで、尿道が傷ついておちんちんの先が、一滴出すだけでウっというくらい痛かったことです。これは三日目の晩にようやく去りました。
 苦しかったのは、左副鼻腔炎の手術なので、左鼻の孔に長いガーゼを4枚詰め込むのですが、右鼻の孔もなぜから両孔に閉塞してしまって息が口でしかできなくなったことです。それでも起きているときは、時々右は息ができるので、まあなんとか過ごせるのですが、午後9時に消灯して午前6時起床までの睡眠時は、自律神経の作用で両鼻孔が閉塞するので、苦しい。こうして眠られぬ夜をガーゼを抜き去るまで過ごさねばなりませんでした。

 もう一つ痛かったのは、ガーゼの抜き去りです。鼻腔・副鼻腔の内壁の粘膜、鼻茸とかいうものを取り去り、副鼻腔つながるくねくねした骨を削り取りましたから、相当、傷がついているわけで、それをガーゼをぎゅうぎゅうに詰め込むことで、止血しているわけです。それを抜き去るという、やや無理なことをするわけです。まずしびれ薬を鼻に注入して10分間待ち、それから長いピンセットで次々にガーゼを取り出すのです。これはウっと声が出ました。人によっては気絶するそうです。
 左鼻孔が開通すると右鼻孔もスース―息ができるようになりました。息ができるというのはありがたいことです。そういえば、神様はアダムを土で造ったとき、鼻の孔から息を吹き込んで(ナーハーシュ)くださり、それで人は生きる魂(ネフェシュ・ハーヤー)となりました。あの時、アダムの鼻の穴が詰まっていなくて、よかったです。

 手術・入院は初めての経験でした。痛いこと苦しいことも少しありましたが、良い経験でした。同室のIさんという75歳の男性に、ヨハネ福音書3章16節から福音をお伝えすることもできましたし。

 今日は主の日ですが、久しぶりに会衆席で礼拝をささげます。東頭戍先生が礼拝の御用をしてくださいます。そんなわけで、つらつら忘れないうちにメモしました。