苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

幼稚園の担任の先生から電話

 千鳥幼稚園時代の担任のO先生からひさしぶりのおでんわがありました。キリスト教会付属の幼稚園だけれど、卒園生で牧師になったのはしゅうちゃんだけなので、貴重なのだそうです。電話のなかで、「幼稚園のクリスマス会で、『幸福の王子』の劇をしたことがありましたよ。よく覚えているんです。」とお話しました。

 以前このブログで書いたことがありますが、再述します。ぼくは長年、なぜ千鳥幼稚園では聖劇でなく幸福の王子の劇をしたんだろうと思っていました。でも、数年前苫小牧の教会堂にウィークデーに遊びに来る子供たちに、ある日『幸福の王子』の紙芝居をしているときに、突然、その意味がわかりました。あ、王子はイエス様なのだ、と。 貧しい人々のもとにつばめを遣わして、美しい黄金もルビーもサファイアも贈り、自らは薄汚れて貧しくなってゆく幸福の王子。それは私たちのために天の栄光の王座を捨てられ、十字架にまで従われたキリストの姿でした。

 それで子どもたちに質問しました。

 「幸福の王子はだれを指しているんでしょう?」

 すると、Sくんが元気に手を挙げて答えました。

 「イエス様です!・・・じゃあ、先生。つばめは誰を指しているんですか?」

 Sくんの問いが胸に刺さりました。ああ、主はあのつばめのように主の手伝いをするために生き、そして死になさいと私をお召しになったのだとわかったからです。