コロナになってから、ずっと9時と11時の二部制でしてきたのですが、今朝は11時から合同礼拝。余裕があります。
去年の秋から、礼拝の中身の理解を深めましょうということで、まず礼拝でもちいている「詩篇歌」(改革長老教会訳)の歌詞を味わうために詩篇を抜粋的に講解しました。次に、「主の祈り」を数回にわけで講解しました。そして、今、「使徒信条」を講解していて、本日は「ポンテオ・ピラトのもとに」という箇所をマルコ福音書15章を解くことによって、学びます。
18歳のとき、神戸の改革長老教会東須磨教会に通い始めた時、毎週、「使徒信条告白」ということがあったのですが、その中で、「主は・・・ポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ」とあって、なんでピラトという人の名は世界中の教会で千数百年間、呼ばれ続けているんだろう?と不審に思ったことがありました。福音書によれば、ピラトは、イエスに悪意を持つ人々に強いられるようにして、不承不承イエスを十字架につけたのに、と。 ちょっと、気の毒な感じがしたんです。
なぜピラトの名が特筆されるのか?よかったらYouTubeで配信されるメッセージを聞いてみてください。「苫小牧福音教会礼拝」で日付を書けば視聴できます。