苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

2月11日

 国は、2月11日は「建国記念の日」であるとしています。先に太平洋戦争が始まってまもないころ、日本のキリスト教会の教会学校では、どんなことが教えられていたでしょうか。当時の教案誌の2月11日にかんする教案がありますので、ここに紹介しておきます。現代仮名遣いになおしておきました。

「 紀元節(ありがたいお国)

[金言]義は国を高くし罪は民を辱しむ。(箴言十四・三四)

[目的」1.紀元節を目前に控え、祝いの意味を判らせる。

2.正義の上に立っている祖国を知らしめて童心にも、日本の子供としての自重と、神の御護りによってこそ、強くて栄えることの出来ることを知らしめる。

[指針」皇紀二千六百二年の紀元節を迎え、今日、展開されている大東亜戦争の使命を思う時、光輝ある世界の指導者としての日本の前途は、武器をもって戦うより、はるかに至難な業であることを痛感するものであるが、手を鋤につけた以上、万難を突破して完遂せねばならぬ唯一の道でもある。

 ひるがえって子供を見る時、小さい双肩に、重い地球が負わされているようにさえ感ずる。今こそ、揺るぎない盤石の上にその土台を据えねばならない時で、吾等に負わされている尊い神の使命である。祈って力を与えられたい。

「教授上の注意]大和の橿原神宮の御写真か絵及びその時代の風俗を表わす絵、金鵄勲章の絵か写真などを用意して見せてやりたい。時間があれば勲章を作らせてもよい。(後略)」

 これは「皇紀二千六百二年(西暦一九四二年、昭和十七年)二月号」の『教師の友』(日本基督教団日曜学校局)に記されたものです。真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発したのが前年の十二月八日のこと。あの時代がいかに異常な時代であり、国家神道キリスト教会をもいかに深くまでむしばんでいたかということが伝わってきます。教会学校教師たちはこれに基づいて子どもたちに神社参拝を奨励し、日本の子どもとしての戦意高揚がはかられたのです。当時は、教会の礼拝堂のなかにまで神棚を設置することが強要され、牧師の説教は官憲にチェックされるというきわめて異常な状況でした。

 ちなみに、紀元節というのは、天照大神の子孫である神武天皇が、九州の高千穂の峰に高天ケ原から降臨した後、東へ東へと攻め上って大和の橿原で初代天皇として即位したという神話があるのですが、その即位日を2月11日として記念する祭りでした。敗戦後、紀元節は一九四八年(昭和二三年)軍国主義天皇制の象徴であるこの祝日は廃止されましたが、一九六六年(昭和四一年)多くの反対を押しきって「建国記念の日」として復活させられました。

 「私は政治には関心ありません」という青年クリスチャンもいるでしょう。「クリスチャンとして神の御前に歩むということと、国家の問題とは関係ない。」と思ってきた人もいるでしょう。「宗教家が政治のことを口にするのは好ましくない。弓削の道鏡のようになりかねない。」と眉をひそめるご年配もいらっしゃるかもしれません。しかし、この教会学校の教案の一ページを見れば、クリスチャンとして神の御前に忠実に歩むということは、国家の問題をから目をそらしてはありえないということを誰しも認めないではいられないのではないでしょうか。

 使徒信条に「(主は)ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け」とある。あえてローマ総督ピラトの下で主キリストが苦しみを受けられたと告白されるこの一句は、主のみからだなる教会とこの世の権威との問題ある関係を暗示しています。教会と国家の問題ある関係は、聖書全巻と主の再臨の日までの歴史を貫く問題の一つなのです。教会がこの世界に生きて行く上で、国家の問題は避けて通ることができません。

 詳細は、こちらをご覧ください。
http://www.church.ne.jp/koumi_christ/shosai/church-state.pdf