苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

人は人間扱いされないと・・・

 ウクライナにロシアが侵攻して一カ月が経ち、昨日、恐ろしい報道がありました。ロシア軍が撤退したブチャという町で、300人ないし400人の民間人が拷問の上虐殺されていたというのです。ロシア当局はこれを西側のフェイク報道だと即座に否定していますが、無理でしょう。

 他方、ロシア軍の通信手段が暗号化されないお粗末なものなので、それがことごとく傍受されていて、ロシアの兵士たちの置かれた悲惨な状況が明らかにされています。訓練だと言われて連れて来られて、戦場に投げ込まれ、3日で制圧の予定だったので食料はもはやほとんどなく、防寒設備もお粗末で燃料もなく、テントも足りず、チェルノブイリ原発事故で高濃度に汚染された地面に掘った塹壕で過ごすうちに原爆症の症状が出て来て、そこにウクライナ軍から絶えず銃撃や砲弾やミサイルが激しく飛んできて、空腹と恐怖のどん底にあるというのです。彼らのうちには、帰還兵となることを望んで、自らの足を銃撃するものもいるそうです。彼らはロシア政府によって、寒い戦場にゴミのように捨てられたと感じています。「祖国」が彼らを人間扱いせずゴミのように扱うので、彼らは敵国の民間人を人間扱いせずに蛮行を働く暴徒と化してしまっているようです。

 「ロシア人は異常だ」と短絡的に口走ってしまいそうですが、そうではないでしょう。どんな民族であれ、人は愛されたことがないと他の人を愛することができない。人は、自分が人間扱いされないと、他の人をも人間扱いしなくなる。こういうことは、程度はちがっても、日本でも体育会系の部活や職場の上下関係でもしばしば見られることではないでしょうか。

<4月7日追記で訂正>
 私は先に「人は人間扱いされないと、ほかの人をも人間扱いしなくなる」ということから推測して、ウクライナで起こった虐殺事件のことを考えていましたが、どうもそういうことではないようです。困窮した若い兵士たちが暴徒化して残虐行為を働いたのではなく、後からやって来た老練な「そういうことになれた」特殊な兵士たちが残虐行為を働いたという証言が出ています。ということは、事柄は組織的、計画的になされた可能性が高いのだそうです。どこまで人間は、特に全体主義の中で人間は、罪深くなってしまうのだろう。背筋が寒くなるような恐ろしさです。