苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

イエス様のユーモア

 今日、病院の待合で内田先生の『イエスの生涯―エゴーエイミ』を読んでいて、この上なく聖書に忠実に書かれている素晴らしいイエス伝であることに変わりはないけれど、ちょっと真面目過ぎるかなあ・・・。

 福音書を読んでいると、イエス様はときどき面白いことをされることに気づきます。嵐のガリラヤ湖上、舟が沈没寸前になったとき。弟子たちは必死で流れ込む水をかきだしているんですが、イエス様はともの方でグーグー寝ていたという場面。ぼくから見ると、あれ、イエス様はきっと狸寝入りしていて、「さあ、おまえら、どうする?」という感じで起こされるのを待っていたとしか思えない。いくら疲れていたといっても、父の御手の中の平安があるとかいっても、上からザバーンと水がかかるし、下は水浸しなのに寝ているって、無理でしょ、と思います。
 イエス様のたとえ話で、これはユーモアを感じる譬えのナンバー1は、ご自分を泥棒に譬えたところなど。泥棒が「何月何日何時何分に行きますから、よろしく!」と☎して来ないように、主イエスも再臨するときは秘密だよというところなど。
 それから復活してからのイエス様は、弟子たちをいじります。エマオ途上をとぼとぼ歩く二人の弟子のかたわらに現れて、「いったいどうしたの?誰のこと話してるの?へえ、君たちの先生ナザレのイエスが十字架で死んだって?それは気の毒に・・・」とは話を聞き続けるところ。
 さらに、そのあと弟子たちの真ん中に復活体でひょいと現われてびっくりさせて、弟子たちに幽霊だと思われてしまったものだから、今度はイエス様が困って、腕まくり、すそまくりして足を見せ、最後には焼き魚まで食べてみせて、生きていることを証明した場面。