学会で発表される論文というものには、新しい説が含まれなければならないそうである。そうでなければ、論文として発表する意味がない。だが新説のうち、8大方は、検証をされていくうち、結局は珍説にすぎなかったことが判明していく。
聖書についても、新しい聖書解釈とか新しい福音理解が提案されることがあり、一時的にブームになることがある。だが、新説の大方は間違いなのである。新しいもの好きだからといって飛びつくのはあまりにも軽率である。特に、ことは永遠の命と永遠の滅びにかかわることである。学者でなく、教会の教師としては、神様から託された信徒たちに、正しいか間違っているかわからないような新説・珍説を提供するわけには行かない。教会の牧師は、風雪を経て検証され確立された福音の真理を伝えることが務めである。