苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「小さい者たち」は試金石

18**章**
1**,そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「天の御国では、いったいだれが一番偉いのですか。」
2**,イエスは一人の子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、**
3**,こう言われた。「まことに、あなたがたに言います。向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。**
4**,ですから、だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。**
5**,また、だれでもこのような子どもの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。**
6**,わたしを信じるこの小さい者たち(mikro-n)の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、海の深みに沈められるほうがよいのです。

 主イエスは、「半人前であると君たちが見下す立場にある子どもたちであるが、へりくだった彼らこそ君たちの先生であるから、彼らからそのへりくだりを学びなさい。そして、彼らを受け入れるかいなかによって、君たちの信仰が本物かどうかがテストされるのだ。」と言われた。そして、主イエスは子どもを指して「この小さい者たち」と呼んでいる。

 だが、マタイ10章で言われる「小さい者たち」が意味しているのは、主イエスが福音のために遣わした弟子たちである。

マタイ10章

40**,あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。**
41**,預言者預言者だからということで受け入れる人は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だからということで受け入れる人は、義人の受ける報いを受けます。**
42**,まことに、あなたがたに言います。わたしの弟子だからということで、この小さい者たち(mikro-n)の一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません。」

   マタイ福音書10章の記事で、主イエスが町町、村村に伝道者を派遣したとき、わざわざ彼らに「9,胴巻に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはいけません。10,袋も二枚目の下着も履き物も杖も持たずに、旅に出なさい。」と命じられた。主イエスは、弟子たちをあえて寄る辺のない姿で町や村に送り込み、町や村の人々の弟子たちに対する扱い―受け入れるか、拒絶するかーによって、その人々をテストされた。

 「靴屋のマルチン」で有名なマタイ福音書25章の王による審判の記事も、この福音書の文脈をわきまえるならば、本来的には、そのように解釈されるべき箇所であろう。

マタイ25章

31**,人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。**
32**,そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、**
33**,羊を自分の右に、やぎを左に置きます。**
34**,それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。**
35**,あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、**
36**,わたしが裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからです。』**
37**,すると、その正しい人たちは答えます。『主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。**
38**,いつ、旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せて差し上げたでしょうか。
39**,いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
40**,すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たち(elachistos)の一人にしたことは、わたしにしたのです。』

  ここに登場する、空腹で渇いて着る物もない宿のない旅人、投獄されている人というのは、たんに生活困窮者でなく、あの弾圧厳しい時代に町々村々にイエスの福音を伝えてまわった巡回伝道者、もしくは弾圧を逃れて散らされてきた人々を意味していると理解するのが、初代教会の状況からすると妥当である。コンスタンティヌス大帝がミラノ勅令を発して、キリスト教が公認されるまで、教職者たちはこのような意味で「小さい者」であり、出会う人が本物の信仰者であるかどうかをためす試金石であった。

 しかし、やがてヨーロッパでは教会が帝国の宗教となり、歴史的経緯の中で国家とならぶ大きな権力を持つようになっていくと、教職者たちは「小さな者」ではなく「大きな者」になってしまった。そんな中世キリスト教社会に、「小さき者」とした現われたのがアッシジのフランチェスコだった。