苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

地引網の譬え

マタイ福音書13:47−52

 大雪のため、明日、小海キリスト教会の礼拝にいらっしゃることができない兄弟姉妹のために、メッセージをアップしておきます。
 みなさんに神様の恵みと守りがありますように。

      礼 拝 次 第


前奏 ・・・・・・・・・・・・・・黙想
招きのことば  詩篇133:1−3
プレイズ・・・・・・・・・・・・・起立
主の祈り ・開会の祈り・・・・・・・・・・・・・・・・起立
子どもメッセージ  マルコ1:1−8
  「バプテスマのヨハネ」井出二枝姉
新聖歌        8・・・・・起立
詩篇23篇 朗読
新聖歌        39・・・・・起立
聖書  マタイ福音書13:47−52
説教 「地引網の譬え」水草修治師
新聖歌      463・・・・・起立
献身感謝    
頌栄「いと高きところに」・・・・・起立
祝祷・・・・・・・・・・・・・・・起立


マタイ福音書13章47−52節

13:47 また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。
13:48 網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。
13:49 この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、
13:50 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

  13:51 あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」彼らは「はい」とイエスに言った。
13:52 そこで、イエスは言われた。「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」



 「地引網の譬え」は、先に主イエスがお話しになった「毒麦の譬え」とペアになっているものです。似た内容に譬えを繰り返すのは、これがとても大切な教えであるから、貴方たちには耳をかっぽじってぜひ知っておいてほしい。そして、中身を悟ったら、それにふさわしく応答して生活するのだよ、とイエス様が望んでいらっしゃるからです。


1.地引網・・・みんなで引っ張ろう

運動会で綱引きはしたことがありますけど、地引網は体験したことがありません。地引網といえば、千葉県九十九里浜の地引網とか愛知県知多半島の地引網などが有名です。どんなもんかなあと思って、youtubeの映像を調べたら、いくつも地引網体験の映像が出ていました。網はとっても大きなもので、先の方が袋になっています。右と左に長い長い紐がくっついています。船で網をもって行きまして、袋の部分を魚のいそうなあたりの海に下します。そして、左右二本の長い長い紐を、岸にいるたくさんの人たちが、まさに綱引きをするようによいしょよいしょと引っ張ります。網は海の底をズルズルと引きずりながら岸へ岸へと引っ張られてきますから、海底から何メートルかの間にいる魚は大きいのも小さいのも、黒いのも赤いのも、また、魚以外のものでも入ってくるわけです。
長い綱引きをして、ようやく網が岸に上がってくると、網袋の部分はこんもりと盛り上がって魚どもがその中でバタバタとしています。岸に大きなシートを敷いて、網嚢の中にいる魚どもをぶちまけますと、子供たちが駆け寄ると、漁師さんたちが「だめだめ」と言って、注意深く見ますと、タイ、鰯、アジ、サバ、タコといった魚、それから、サメとかエイも入っていて、棘のある危ない魚も入っていたりします。よい魚と、危険な魚、食べられないのを取り除く作業をします。なんだか、楽しそうで、私も一度参加してみようと思いました。

エス様が地引網に譬えられたのは、ガリラヤのカペナウムでイエス様が「悔い改めなさい。天の御国は近づいた。」と宣言してスタートした、世界宣教のことを意味しています。伝道者たちは世界という海にキリストの福音を宣べ伝えてゆき、網の中にはたくさん魚がはいりました。魚というのは、キリスト教信者たちを意味しています。地引網はキリスト教界を意味していると言ってよいでしょう。
ブリタニカ2009年度版によれば、世界の宗教人口調査で、第一位はキリスト教徒で、プロテスタントカトリック、正教あわせての数ですが、<キリスト教 22億5千4百万人で世界総人口の33.4%>という数字が出ていました。以下、イスラム22.2%、ヒンズー13.5%、無宗教11.4%、中国の伝統的な宗教(道教?)5.7%、仏教5.4%・・・と続いています。たしかに、キリストの福音はこの二千年間世界中に行き渡ってきて、世界人口の三分の一はキリスト教徒なのだそうです。
大人も子供も多くの人たちがワイワイと言いながら、地引網の2本の綱を引っ張って、ついに魚が上がって来て歓声を上げているありさまは、ほんとうに楽しそうでした。伝道をして人々をイエス様のところに導くのも、大人も子供も男も女もみんなで一緒に網を引っ張るような伝道ができたら、こんなに楽しいのだなあと思いました。実は、この春、4月27日、日曜日に菊池実先生というすばらしい先生をお迎えして伝道会をしようと計画しています。午前中は、入門者のための伝道メッセージをしていただいて、午後は聖書地理、聖書考古学のそれはそれは興味深いお話をしていただくことにしています。3月に東京三鷹の中近東文化センターに遠足に行って、聖書の昔の時代の遺物をたくさん見てきて、この場でさらに深めましょうというわけです。この4月27日には、みんなで地引網を引っ張るように、それぞれが家族や友だちや大切な人たちをここに連れてきてくださるようにとお願いします。そうして、みんなで喜びましょう。

2.選別

  さて、地引網をヨイショヨイショと引っ張って、岸に引き上げると、いきなり魚たちに手を出してはいけませんでした。魚の中には、棘のある魚もいれば、毒のある魚もいますし、鋭い歯をもった魚もいますから。

13:48 「網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。」

もっとも、この地引網の出来事というのが直接意味しているのは、一つの教会の中における伝道のわざのことではありません。教会で、みなさんが友達や家族を伝道会に連れてきて、連れてこられた人たちをみんなで選別するなんてことはしませんから。
 イエス様が話された地引網の譬えが、直接的に意味していることは、世界の終わり、主イエスが再び栄光の雲とともに来られるときに行われる、最後の審判を意味しています。イエス様の福音を世界中に宣べ伝えて行くときに、天の御国つまり教会の中には、たくさんの人々が入ってきます。さっき申し上げたように、現在、世界人口の三分の一、22億5400万人は「キリスト教徒」と名乗っているようです。過去二千年間、この世にいたキリスト者の数はいったい何千億、何兆いたのでしょう。そういう数字はわかりません。「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」という主イエスのご命令にしたがって、あらゆる民族国語にキリストの福音が宣べ伝えられて、ありとあらゆる人々が網の中、教会の中に入りひしめいています。
それはすばらしいことです。けれども、その網のなかには本物の信者だけではなく、偽クリスチャン、偽牧師、偽伝道者たちも入っているのです。そして、最後の審判のときには、イエス様はそれを本物と偽物に選別して、本物だけを永遠の天国にいれてくださって、偽物は悪魔も落とされている地獄に落とされてしまいます。

黙示録21:1−8
21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。
21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」
私たちは、恐れなければなりません。神様の前に、誠実であるように努めなければなりません。最後の審判は必ずやって来て、私たちは主の前に立たねばならないのですから。

3.天の御国の学者

13:51 あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」彼らは「はい」とイエスに言った。
13:52 そこで、イエスは言われた。「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」

 イエス様は天の御国の譬えを話してこられて、最後の結びのことばです。振り返ってみましょう。
最初は種まきの譬えでした。まかれる種とは、福音で、それを受け取る畑としての私たちの心の態度が大事です。しっかり聞いて、悟って、信じて、守って、三十倍、六十倍、百倍の実を結びましょう。
次に、からし種の譬えとパン種の譬え。小さな天の御国は世界中に拡大するということです。事実、世界の片隅ガリラヤで始まった教会は世界中に広がりました。
次に、畑に隠された宝と高価な真珠の譬え。天の御国は、「家、兄弟姉妹、父母、子、畑」を措いてもぜひとも手に入れるべき価値あるものだということです。
最後に、毒麦のたとえと地引網の譬えで、世界宣教と最後の選別(審判)があることです。
みなさん気づかれたことでしょうが、イエス様がここで話してこられた天の御国とは、「死んだ後に行く、幸いな場所」という意味ではありません。イエス様が、ここ天の御国の譬えで話してこられたのは、今、この世においてキリストの福音が宣べ伝えられて広がってきたキリスト教会のことです。そして、その天の御国から、最後の審判で偽信者は取り出されて、最終的な永遠の御国が新しい創造とともに始まるわけです。
 ガリラヤでイエス様が「悔い改めなさい。天の御国が近づいた。」とおっしゃって、その後、十字架と復活の出来事によって用意された救いは、弟子たちによって世界中に宣教されてきて、今日に至っています。天の御国は、キリストが人として来られてすでに始まっているのです。また、天の御国は、まだ完成しておらず、主イエスが再臨される時に完成するのです。今、私たちの天の御国は「すでに」と「いまだ」の間にあるのです。

 私たちは天の御国のたとえを聞きました。わかったでしょうか。わかったならば、天の御国の学者です。天の御国の学者は、自分の蔵から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人だとイエス様はおっしゃいます。新しい物、古い物というのは、色々さまざま豊かなものという意味です。主人はそれらを死蔵しているのではなく、必要な人々のために、それらを取り出してわけてあげるのです。そのように、私たちはキリストの御国の福音を聖書から何度もいろいろな形で学んでいるものですから、それを死蔵するのではなく、取り出していろいろな人々に、提供するものでありたいと思います。



礼拝の次第