最近石飛幸三『口から食べられなくなったらどうしますか「平穏死」のすすめ』という本を読みました。講談社文庫です。「延命治療の限界と、人としての安らかな最期を考える」という腹巻がついています。
5:1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。
5:2 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。
5:3 それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。
5:4 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。
5:5 私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。
5:6 そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。
5:7 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。
5:8 私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。
5:9 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。
5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。 (第二コリント5:1-10)
いろいろな意見がある課題だと思いますし、本人・家族・医師それぞれの立場で感情的に複雑なことです。 それに、この本で扱われる「口から食べられなくなった人」というのは90歳前後の方たちに関することであって、若くしてそういう状況になった人の場合は考え方が違ってくるかもしれないなあと思わされます。
自分自身の老いた将来のこととして考えると、イエス様を受け入れて、天からの住まいが用意されており、主の前に立つ備えができている身としては、壊れてしまったテントより、天にある朽ちない本建築の住まいに行きたいと思うのが、少なくとも現在の心境ではあります。