今日は待降節第四主日、クリスマス主日礼拝でしたが、実は、昨日の午前にいつもともに礼拝をささげているご高齢のK姉が天に召されたので、本日の午後の時間はクリスマス祝会でなく、天国に召された姉妹をしのぶ会としました。高齢者が多く、前夜式をしても集うことがむずかしいからです。急なことでしたが、ご親戚も集ってくださり、天に召された姉妹の信じたイエス様の福音に真剣な表情で耳を傾けてくださりました。家内が、キリストの福音はK姉からのご親戚へのプレゼントなのねと話していました。
K姉は結婚して二人の娘さんが与えられ幸せな家庭をご夫君とともに築き始めた矢先、娘さんたちがわずか五歳のときに、ご夫君が逝去されて、以来、女手ひとつでお二人の娘さんを立派に育て上げられた方です。そのご苦労は並大抵のことではなかったろうと思います。娘さんたちはやがて教会に通うようになり、クリスチャンになりましたが、K姉はなかなか教会には来られませんでした。しかし、娘さんの一人が闘病の末に天に召されて行かれたとき、その天国への希望のたしかさを目の当たりにされて、ご自分もイエス様を受け入れられたのでした。以来、忠実なクリスチャンとして歩んで来られました。
姉妹の愛唱賛美は、聖歌687番「まもなく彼方の」です。
- 1 まもなくかなたの流れのそばで
楽しく会いましょう また友だちと
神様のそばのきれいなきれいな川で
みんなで集まる日の ああなつかしや - 2 水晶より透き通る流れのそばで
主を賛美しましょう 御使いたちと
神様のそばのきれいなきれいな川で
みんなで集まる日の ああなつかしや - 3 銀のように光る流れのそばで
お目にかかりましょう 救いの君に
神様のそばのきれいなきれいな川で
みんなで集まる日の ああなつかしや - 4 よいことを励み 流れのそばで
お受けいたしましょう玉 の冠 を
神様のそばのきれいなきれいな川で
みんなで集まる日の ああなつかしや
偉い神学者の中には、イエス様を信じたら、罪ゆるされて天国へ行けるというような彼岸的な福音理解はよろしくない、もっとこの世にあって神の栄光をあらわすことをキリスト者は志すべきであるとおっしゃる方がいます。言わんとする御高説はわかるのですが、ご高齢の兄弟姉妹とともに歩んでいる現場の牧師としては、主イエスにある天国の福音の約束もまた大切なものです。
4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
5:1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。5:2 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。
5:3 それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。
5:4 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。(2コリント4:16-5:4)
まもなくかなたの We Shall Gather At the River Hiroshima Glory Church