苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

近世教会史5 改革派教会(2)ブリンガー、エコランパディウス、ブツァー

ハインリヒ・ブリンガーHeinrich Bullinger(1504-1575)
 チューリヒにおけるツヴィングリの後継者はハイリヒ・ブリンガーである。ツヴィングリに比べると、それほど大きな指導力を発揮した人物ではないとされるが、第二スイス信条は彼によって作成された。1566年にスイス諸教会の牧師はこれに署名し、フランス語訳されてフランス諸教会にも承認され、以来18世紀にいたるまで、全改革派教会に重んじられたことを考えれば後世へのその影響は大きい。今日、改革派圏とくに英語圏では、完備されたウェストミンスター基準の影響が強いが、聖書解釈の原理について、ウェストミンスターが落としてしまった大切なことについて、第二スイス信条は注目すべきことを述べていることを、ここで指摘しておきたい。
 第二章一節「(前略)われわれは聖書そのものから(すなわち、ある事情の下で聖書に書かれ、信ぜられた言葉の特質、また相似通い、相異なった多くの明らかな個所の比較によって示された言葉の特質により)、信仰と愛の秩序に一致し、特に神の栄光と人間の救いを主張することである。」
 第二章二節「しかしまた、われわれはラテン、ギリシャの教父たちの解釈を決して軽視せず、聖書に一致した、聖なるものについての彼らの論議を拒否しない(後略)」
 すなわち、第二スイス信条によれば、聖書解釈の原理として4点が挙げられている。
① 聖書自体が聖書解釈の基準であること
② 歴史的文法的解釈が大切であること。
③ 教会の聖書解釈の伝統も重んずべきこと。
④ 信仰と愛の秩序に一致すること。
 ところが、ウェストミンスター信仰告白では、第一章9節で次のように言うのである。
「聖書解釈の無謬の基準は、聖書自身である。従って、どの聖句の(多様ではなくて、ひとつである)真の完全な意味について疑問のある場合も、もと明らかに語る他の個所によって探求し、知らなければならない。」
 つまり、ウェストミンスターはすっかり教会の聖書解釈の伝統、と、信仰と愛の秩序による一致という二点を捨ててしまったように見える。J.H.リースはこの二点が抜け落ちたことは、無味乾燥な聖書主義に走らせ、改革派信仰から倫理的強さを失わせ、教理と生活を遊離させる結果を生んだと指摘している 。「神を愛するための神学」を志してきた筆者にとって、ブリンガーは気になる改革者である。 
 今ひとつ、ブリンガーがなしたたいせつな仕事は、チューリッヒ改革派教会をカルヴァン派と合流させたことである。ツヴィングリ死後16年後の1549年のことであった。チューリッヒ協定によって、スイス改革派教会の基礎ができた。ツヴィングリに比べて指導力が弱かったとされるブリンガーであったが、それゆえにこそ成し遂げることができた合同であったという理解は、的はずれではあるまい。
 

エコランパディウスJohann Oecolampadius (1482-1531) バーゼル
 エコランパディウスとブツァーについては、朝岡勝牧師が要を得て簡潔かつ平明にまとめてくださっているところを、ここに引用させていただく。
バーゼルの改革者エコランパディウスについて記したいと思います。エコランパディウスは数多くの宗教改革者の中でも一流の神学者であったと言われる人物です。16世紀の人文主義的教養を身につけるべくハイデルベルクで文学を、イタリアのボローニャで法学を、そして再びハイデルベルク、チュービンゲンで神学と文学の学びをおさめ、当時最高の碩学といわれたエラスムスのもとでギリシャ新約聖書の校訂作業に参加したりもしました。エコランパディウスは特に語学にその才能を遺憾なく発揮し、ギリシャ語、ラテン語はもとより、ヘブライ語アラム語などの旧約聖書語学に通じ、聖書の研究や注解などで大きな貢献を果たしたのです。
 宗教改革者たちはその多くが聖書学者であり、聖書の講義や説教によって宗教改革運動を導きましたから、基本的には聖書を原文で読む力は相当高いレベルを持っていたといわれますが、それでも旧約聖書には手こずることが多かったと言われます。そんな中でエコランパディウスの綿密な旧約聖書の注解は、当時の説教者たちの大きな助けとなったといわれます。このように宗教改革運動を支えたのは地道な聖書研究の蓄積にあったのであり、真摯な聖書との取り組みが教会を建て上げていったのです。」(朝岡勝「牧師室だより214」

マルチン・ブツァーMartin Butzer(Bucer) (1491-1551) ストラスブール
 「これまであまり顧みられることがなく、今日になってその神学と実践の重要性が認識されるようになった宗教改革者に、ストラスブールの改革者マルチン・ブツァーがいます。従来は、彼の神学思想は調停的で新しく見るべきところは少ないという評価だったのですが、今日ではジュネーヴの改革者カルヴァンがその神学と実践の多くをブツァーから学び取ったことへの再評価とともに、ブツァーの神学の持つ牧会的・実践的な姿勢から新しく学ぼうとする姿勢が高まっており、大部の伝記や著作集が編まれるようにもなってきています。
 ストラスブールにおけるブツァーの働きの中心は、会衆たちが生き生きとささげる礼拝の改革、子どもたちに対する懇ろな信仰教育、そして主の御言葉によって立つ自律的な教会の形成ということにありました。このためにブツァーは本を書き、教材を作り、法を整備し、精力的な働きを続けていったのです。しかし何と言ってもブツァーの関心は自らに託された主の羊たちを正しく養い、導くことにありました。1538年の著書「真の牧会と正しい牧者の務めについて」の目次には次のようなタイトルが並んでいます。「失せた羊をいかにして尋ね出すべきか」、「迷い出た羊をいかにして連れ戻すべきか」、「傷ついた羊をいかにして包み癒すべきか」、「弱った羊をいかにして強くすべきか」。ブツァーを始め改革者たちはみな羊を養う良き牧者たちであったのです。」(朝岡勝「牧師室だより372」)