苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

北海道で地震  苫小牧

 みなさん、お祈りをありがとうございます。台風21号が過ぎて電話がおかしくなり、ネットがつながらないなあと思っていた矢先、真夜中にグラグラグラッと来ました。揺れの特徴は短周期で激しいもので、持続時間はさほど長くなかったように思います。本棚の上に置いてあったA4のコピー用紙の束が落ちてきたくらいでした。非常に激しい揺れであったにも拘わらず、落下物や転倒物がほとんどないのが不思議というのが今回の特徴でした。
 真夜中ですが、地震の揺れからすると、あの311とちがって直下型ですから、津波の心配はほぼなさそうですが、緊急地震速報には津波のことは触れられていませんでしたから、どうしたものかなと思いました。なにしろ停電しているので、情報がありません。アパートから出ると近所の家族が駐車場でワンボックスカーの中でテレビを見ていました。「津波の心配はなし」と報道されていて、一安心。つい先日、近所に越してきた教会の一人暮らしのおばあちゃんがいるので、心細くしているだろうと、徒歩1分のところを訪問しました。「びっくりしたー」と話していました。
 家に帰ってまだ3時半ころ。教会の役員さんたちに携帯で電話をかけて、それぞれ担当している兄弟姉妹の安否を手分けして聞いてもらいました。固定電話はまったく機能しません。けがなどした人は、今はいっているかぎりないのですが、心配なのは腎臓透析をしている人がいることです。停電が続くと状況は厳しいですね。それから、寝ましたが、余震がたびたびあり、また、電話も何度もありながら、寝たような寝ないような状態で、朝を迎えました。
 
 明るくなりました。ありがたいことは、苫小牧の私たちが住むところでは、ガスも水道もOKだったことです。ですが、停電が続けば、アパートの屋上タンクに水をくみ上げるポンプが動かないので、いずれ断水するだろうと想像して、一応、風呂に水をためました。非常袋から手回し充電器つきのラジオを引っ張り出して初めて使いました。これはとっても便利です。みなさんにも一つ買っておくことをお勧めします。
 電気がないので、ガスコンロで鍋でご飯を炊きました。 お祈りをして家族で朝ごはんを食べて、娘はアルバイトに、私は会堂に出かけました。壊れている家があるかなあと思って出かけましたが、倒壊した建物はありません。会堂も外観はきれいなものです。しかし、中にはいると、階段にステンドガラスが割れて散らばっていました。これは建物にくっついた窓ではなく、窓のそばに設置してあったものです。書斎は机の上は荒れていましたが、棚の本はほとんど落ちていませんでした。本棚の上に載せた本箱がずれていました。二階に行くとひどかったのは台所でした。食器棚の観音開きが、中の食器が暴れてあいてしまって、飛び出した食器が割れて散乱していました。地震の時観音開きの食器棚はアウトです。妻が片づけたら、リンゴ箱一杯くらいの数です。でも、食器棚が倒れはしませんでした。やはり、あれほど揺れたのに倒れなかったのは、揺れ方のせいなのでしょうね。余震を予想して、観音開きが開かないように留めておきました。 教会の近所のツルハドラッグはスーパーはものすごい人で、大阪万博以来の待ち時間で買い物というありさまでした。
 そんなこんなでもう午後2時ころになり、腹ペコで帰宅してお昼を感謝して食べました。娘はあ4時ころだったか、帰ってきました。やはり片づけがたいへんだったみたいで、少し食べて部屋に戻って寝ていました。
 私と家内はロダといっしょに散歩に出かけました。電気が来ないので、パソコンも開けず暇なのです。あたりは静かで一見何事もなかったかのようです。信号は国道のものだけが機能していて、あとは消えていますが、さしたる混乱はありませんでした。コンビニでおせんべいを買おうと言いながら、ぐるーっと長めの散歩をしましたが、目当てのコンビニはもう品物がなくなったせいか、閉じていました。そのうち陽が落ちてきたら、なんとぽつりぽつりと灯りがともり始めました。電源回復に1週間はかかると聞いていましたから、びっくり。ところが、私たちの住む町内までくると、まだ真っ暗でした。
 家に帰って懐中電灯をともしながら、ご飯を鍋でたき、家内がこんな時なのに、おいしい肉じゃがを作ってくれました。娘が感謝の祈りをして食べました。懐中電灯のあかりのなか、ほぼ真っ暗けでの夕食でしたが、すばらしく美味しかった。食べ終わると、時間があります。いつもだと私も娘も部屋にもどって勉強やもう一仕事なのですが、することがありません。「うーん、ぜいたくな時間。何しよう」とか言ってたら、娘がUNOとトランプを持ってきたので、暗闇の中、懐中電灯をたよりにやりました。気づいたら、もう十時ころで、真っ暗ですることもないので、非常持ち出しを確認して、枕元に懐中電灯を置いて、パジャマで飛び出すと恰好悪いのでジャージを着て寝ました。

 で、午前5時。朝が来ました。やや薄暗いところ、パチリとスイッチを入れたら電気が来ていました。夜を徹して電力会社の方たちが働いてくださっているのですね。
 電源が回復して、情報が一気に得られるようになりました。地元にいると地元のことが見えないのです。
 震源地の山間部で山崩れが起きて被災した方たちのために、今も懸命に救助活動が続いています。祈ります。電源回復がまだの地域の特に病気の方たち、人工透析の方たちのために祈ります。電源回復のために、夜を徹して働いている方たちのために祈ります。

 みなさん、お祈りをありがとうございます。
 長いレポートを読んでくださり、感謝します。