神はこの助産婦たちに良くしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。(出エジプト1:20,21)
エジプト脱出の指導者モーセが生まれてくることができたのは、屈強な男たちのおかげではなかった。そこには、残忍な権力者ファラオを恐れるよりも、真の神を恐れた助産婦たちがいた。「すべていのちあるものの母」エバの娘たちである。
この記事を読むたび、原爆投下の広島のビルの地下で赤ん坊をとりあげた産婆さんの詩を思い出し、胸打たれる。
『生ましめんかな』 栗原貞子
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも