苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

下ろすべき重荷、負うべきくびき

「 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28―30)


 人が主イエスのもとに下ろすべき重荷は罪の重荷。私たちには、自分の罪を重荷を負いきることはできず、主イエスにお任せするしかない。主イエスは、十字架と復活によって私たちの罪の重荷を負いきってくださった。
 主の前に罪の重荷を下ろすと、主イエスは「わたしのくびきを負いなさい」とおっしゃる。主イエスとともにくびきを負って牽いていく荷とは愛の荷である。愛の荷を担っていくとき、人は自由と喜びを経験する。人は本来、神に似せて、愛する者として造られたものだから。