このたび22年間の南佐久郡、小海キリスト教会での伝道と牧会を終えて、この4月から北海道苫小牧福音教会での宣教に赴くことになりました。また、そのかたわら北海道聖書学院で組織神学を担当することになります。苫小牧の冬は雪は札幌に比べれば少なく滅法寒いということで、小海に似ているようです。
小海キリスト教会には後任者として荒籾実(あらもみまこと)牧師、そして奥様とお子さん3人を迎えることになります。いっそう、この地の方たちにキリストの福音が広くかつ深く伝えられますように、さらに多くの方たちがキリストを受け入れて、神のご栄光が現わされますようにと願っております。
23年前の松原湖の夏キャンプのとき、キャンプ主事だったS牧師がお互いビジョンを語ろうと言ったのに対して、私は「教会のない田舎で伝道したいということと、神学教育が自分の使命だ」と話したら、先生が「それならこの麓に来ればいい。ここには教会がひとつもないから」とこともなげに答えました。3年ほどこの件で祈っていた私は、それを神の声と聞いて、立ちあがりました。S牧師は神学生時代、「日本福音土着化祈祷会『葦原』」でいっしょに祈った仲間でした。
振り返れば、よくぞ妻がついて来てくれたものだと感謝しています。妻にそのとき与えられたみことばは詩篇23「まことに私のいのちの日のかぎり、いつくしみと恵みとが私を追ってくるでしょう」でした。実際、そのとおりでした。
2年後1月に隣村の檀徒総代の娘さんと私の長男、そしてクリスマスにお母さんが洗礼を受けてから、かたつむりの散歩のようなペースですが、一人二人と兄弟姉妹が加えられて、9年目に小ぶりですが美しい会堂が与えられ、今日まで歩んできました。多くの出会いがありましたし、別れもありました。今、また、たいせつな人たちと別れようとしていますが、クリスチャンの出会いは永遠のものです。
今月27日には、主が許して下さったら最後の洗礼式を行うことになっています。
そして、「葦原」といえば、ブラウン宣教師がフィリップ・ペルツに宛てた手紙です。
「わたしは、しばしば、独りごとに、いや仲間にも言っているのですが、この日本国がキリスト教国となったら、どんなにすばらしいだろう・・・と。この国民に福音の喜ばしい感化を与えることができるよう、神は力をあらわして下さるでしょう。もしそうなれば、日本を地上の楽園にすることも不可能ではありません。この美しい谷や野原、山腹、農家、村落、町村、都市、全国どこにでもきかれる『南無阿弥陀仏』という祈祷が、『なんじ、高きにいます神よ』または、『天にましますわれらの父よ、み名をあがめさせたまえ』という祈りに変わる時代は、現に来つつあるのです。その時、『日出づる国』はひれふして『爾名は異邦人の間に高くかかげられん』となります。
これは単なる叙事詩でなく、事実であることは、あなたもわたしも、本国の諸教会も信じていることです。主はそう言いたもうたようにもうそうなりつつあるのです。どうしてこのようなことが起こらないと言えましょうか。」