苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン10月10日  窮した者の祈りを

(詩102:17)
口語訳
乏しい者の祈をかえりみ、
彼らの願いをかろしめられないからです。


新改訳
窮した者の祈りを顧み、
彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。

新共同訳(102:18)
主はすべてを喪失した者の祈りを顧み、
その祈りを侮られませんでした。

 インドネシア宣教師であったO先生の体験を思い出した。ある島の村落を訪ねたとき、病気の人々が師のもとに連れてこられた。癒しの祈りをしてくれというのである。O師は、自分には癒しの賜物があるとは思っていないし、それどころか改革派神学を学んできた自分としては今の時代に聖霊による奇跡的な癒しのわざが起こることさえ、信じていなかったけれど、人々の求めは切実で、祈らざるを得なかった。ところが、O師が祈ると、その病人は驚いたことにたちどころに癒された。「わたしは癒されるとは信じていなかったんですよ。でも、あの病人とあの病人を連れてきた人々は、癒されると信じた。彼らの信仰に主は応えてくださったんです。」