苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

高い地位にある人々のために祈る

2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。 2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。 2:3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。

2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。 2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。(1テモテ2:1−5)

 エペソ教会の牧会者テモテは、まず王とすべての高い地位にある人たちのために祈るべきだった。それは、キリスト教会が神を畏れて平安な一生をすごすためだった。権力者が悪魔の誘惑によって暴走するならば、キリスト者を弾圧し敬虔で平安な一生をすごすことが出来なくなってしまう。だから、彼らが悪魔の影響から脱するように祈らねばならない。
 権力者たちのために祈ることは、「良いことであり、神に喜ばれること」とは思えない状況が初代教会にはあったのだろう。権力者はキリスト者たちを弾圧し、伝道者を逮捕していたから、権力者は悪魔の手先であるという意識を多くのキリスト者たちも抱かざるをえなかったのかもしれない。事実、権力者が悪魔の手先としてふるまうことは往々にしてあることだとは、聖書が教えていることである。
 しかし、権力ある立場にある人々もまた滅び行くみじめな罪人たちであり、神は彼らも「救われて真理を知る」ようにと望んでおられる。4節、5節で「すべての人」というのは、こうした文脈からいうならば、「庶民だけでなく悪魔の手先にされている王や高い地位にある人々も含めて」という意味である。つまり、ここにいう「すべての人」とは「身分の低い者も高い者も」という意味。
 従って、高い地位にある人々のための祈りの課題は、
天皇や立法・行政・司法の指導者たちが、サタンの誘惑に陥って傲慢にならず、謙虚に知恵をもって、平和を維持し、格差を是正する政治を行うように。
②彼らもまた悔い改めて主イエスを信じて救われるように。