苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン5月30日

(エレミヤ33:6)
文語訳「視よわれ卷布と良藥をこれに持きたりて人々を醫し平康と眞實の豐厚なるをこれに示さん 」
口語訳「見よ、わたしは健康と、いやしとを、ここにもたらして人々をいやし、豊かな繁栄と安全とを彼らに示す。」
新改訳「見よ。わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らをいやして彼らに平安と真実を豊かに示す。」
新共同訳「見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。」
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 文脈はひとたびバビロン捕囚で荒れ果てたエルサレムの回復を告げるところ。エルサレムの荒廃は重傷にたとえられ、これを癒すといわれる。翻訳によって訳語がずいぶん違っていることにとまどいを感じる。文語訳が包帯と薬、口語訳は健康といやし、新改訳はいやしと直し、新共同訳はいやしと治癒。どれが正解かわからないが、文語訳が筋はとおっている。いやしと直し、いやしと治癒では意味不明。
 もたらされるのは「平康と眞實」「繁栄と安全」「平安と真実」「まことの平和」。シャローム。しかし、歴史のなかでこうしたシャロームエルサレムに回復したことはいまだ見られたことがない。神の平和という名は、皮肉なのではないかといぶかられるほどに。そういえば、今、国会で論じられている日本を米国の戦争の下請けを本格的にできる国にする法案の名は「平和安全法案」とか言った。
 「エルサレムのため、平安いのれ」と詩篇にあった。ぶつぶつ言っても、ごまめの歯軋り。キリスト者としては、神に祈ろう。