苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン4月8日

 

申命記31章13節
これを知らない彼らの子どもたちもこれを聞き、あなたがたが、ヨルダンを渡って、所有しようとしている地で、彼らが生きるかぎり、あなたがたの神、【主】を恐れることを学ばなければならない。」
(新改訳)

この律法をまだ知らない子供たちも聞いて学び、生きている限りあなたたちの神、主を畏れるようになる。
(新共同訳)


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 モーセヨルダン川の東、モアブの荒野で訣別説教をしてきた。それは、またシナイ契約の確認であり、更新であった。(申命記の構成は、紀元前二千年期の時代の契約形式を踏んでいる。)その末尾、いよいよモーセヨシュアにバトンを渡そうというところである。
 律法は七年ごとの「免除の年」つまり安息の年に老若男女全ての民の前で読まれなければならない。七年ごとに、神の民としての原点に立ち返るためである。そのなかに、在留異国人の子どもたちも含まれるべきであるということが特筆されている。主の契約、主の律法は一世代のことでなく、次の世代へ、また次の世代へと継承されていかねばならない。
 さらに、在留異国人の「律法を知らない子どもたち」にも神のことばは広げられていくべし、ということである。選民という思想は旧約のなかに確かに色濃くあるけれど、神のことばは拡げられていくべきものであるという認識も同時にある。「選民」自体、本来、独善のためでなく、世界のための祭司の王国である。
 

「わたしを愛しわたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」(出エジプト20:6)