苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン3月25日  ベテル 神の家

創世記28:16,17
ヤコブは眠りからさめて、「まことに【主】がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った。彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」(新改訳)


ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。(口語訳)


ヤコブ目をさまして言けるは誠にヱホバ此處にいますに我しらざりきと  乃ち惶懼ていひけるは畏るべき哉此處是即ち神の殿の外ならず是天の門なり (文語訳)


ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」そして、おののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」(新共同訳)

 兄を欺き、父までも欺いて、神の祝福を奪い取ったヤコブは、兄の殺意を恐れて、杖一本もって、おじラバンの住むカランの地へと旅立たねばならなくなった。兄の追っ手を恐れ、昼は照りつける日差しに打たれ、夜は野獣の光る目を恐れ、行く手の不安にさいなまれ・・・という状況の中だが、朝日に照らされて何里も歩いた彼の脳はメラトニンを分泌したので、草を引き結んで枕でなく石を枕に眠りに落ちた。
 すると天から彼のもとに梯子がくだり、そこを御使いたちが往来していた。四面楚歌に思われたが、天には大いなる味方である主がいらして、彼の叫びに聞き、また、彼にみことばをくださる。それどころか、さらに主は彼のかたわらに立ち、彼に祖父アブラハム、父イサクに対する契約を相続させてくださるとおことばをくださった。そして言われた。
 「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(28:15)
 神が住まわれる場所、そこは「神の家」すなわちベテルである。ヤコブはここに石の枕を立てて目印とする。彼はこの後、おじラバンのもとで苦心惨憺の年月を過ごした後、約束の地に戻ってくる。このベテル、神の家、天の門は彼が戻るべき地として、旅の間中ずっと意識し続ける場所となる。

 主は、ヤコブがどこへ行っても共にいてくださると同時に、彼を神の家、天の門へと連れ戻してくださる。このことは、私たちの教会生活を暗示する。私たちは、主の日ごとに神の家、天の門に集い、そこから世に派遣されるが、そのゆく先々にも主はともにおられる。そして、また主の日がくると、主は私たちを神の家、天の門に連れ戻してくださる。主の臨在には、この両面がある。