苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン2月2日  前に 右に

詩篇16:8
わたしは常に主をわたしの前に置く。
主がわたしの右にいますゆえ、
わたしは動かされることはない。(口語訳)

われ常にヱホバをわが前におけり ヱホバわが右にいませばわれ動かさるることなかるべし(文語訳)

 日本語にすると、前に、右にとちょっと変だけれど、大事なことはわかる。
追記 2月3日>
 前にというのは、目の前に、差し向かいにということばネゲド。たしか、神がアダムに妻を「ふさわしい助け手」として造られたとある、「ふさわしい」にあたることばである。いつも主とひざとひざを付き合わせるような近しい間柄を意味する。今朝は、教団事務所の宿舎で、隣室からI牧師の「主よ」と呼びかけるベースの声が響いてきて目がさめた。いつも主とひざつきあわせている方である。
 「右に」というのは、力を意味する。ベニヤミンは「右手の子」。彼はおれの右腕だというように、頼りになる存在ということ。
 いつも主と差し向かいに生きるとき、主は実に頼りになるお方。主よ、今日もあなたを頼りに生きます。