苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン4月1日  あがめ ひれ伏す

詩篇99:5

われらの神、【主】をあがめよ。
その足台のもとにひれ伏せ。
主は聖である。(新改訳)


われらの神、主をあがめ、
その足台のもとで拝みまつれ。
主は聖でいらせられる。(口語訳)


われらの神ヱホバをあがめ
その承足のもとにて拝みまつれ
ヱホバは聖なるかな(文語訳)


我らの神、主をあがめよ。
その足台に向かってひれ伏せ。
主は聖なる方。(新共同訳)

 「あがめるrum」と「ひれふすshachah」が対照的。主は高く、自らは低く。「あがむ」という言葉は、「あぐ(上げる)」と同根だということなので(岩波古語辞典)、適訳だろう。・・・そして、「主は聖であるqadosh」と。qadoshは分離している、離れている、という意味。神はいと高く、私はいと低く。
 この主題は9節でも繰り返される。「われらの神、【主】をあがめよ。その聖なる山に向かって、ひれ伏せ。われらの神、【主】は聖である。」

 
 いと高き方よ。地のちりにすぎぬ者が、ひざまづき、ひれふして祈ります。御名があがめられますように。御名があがめられますように。